コロナ関連投稿集

コロナ関連投稿集

4月27日「緊急事態下を生きる神の民⑮ ~現状への応答、そこにある希望、課題、責任

 最近、某牧師のFBへの投稿に感銘を受けています。そこに記されているのは、クリスチャンたちの現状への応答(対応ではない)について。私になりの読み取ったのは、その応答にある「希望」と「課題」と「責任」の三つ。

 まず、は「希望」です。教会が、現状に対しての応答を試みようとしていることに、希望を抱いておられます。信仰をもって現状をどう受け止め考えるのか、どう試練の中を歩むかとういことでしょう。そして、今から考える作業の開始の必要性を記してくださっています。
  
 次には「課題」。それは福音を商品として消費する「消費型クリスチャン」や教会の出来事を観戦する「観客系クリスチャン」の問題。そこに「自意識高い系の無責任なクレーマー体質」が重なれば、それは、教会にとって、試練が生み出すさらなる試練に。

 最後は、「責任」と言えるでしょう。安心して礼拝できるようになった時に問われる責任です。教会内での「集って礼拝できてうれしい」との喜びは当然でしょうが、外に対しての信仰の証しを忘れてはならないでしょう。なぜなら、コロナを通じて、地域には刈り取るばかりの魂が。希望、平安、永遠、愛、交わりなどを求める方々に、信仰や希望を語る準備を、今からしておく必要があることに気が付かされます。教会はまさにそのためにこそ、地域に建てられているのですから。
   

 三つの大切なことが、短い投稿に凝縮されています。その投稿を当人の許可をいただき、以下に転載します。

 COVID19の影響が教会にもある中で、この状況に対して教会から応答を試みようとする動きがあることに希望を見出しています。私の所属教団、教会、神学校でも考える作業を始めなくてはならないでしょう。

 教会には、福音を消費すべき商品として扱う人たち、教会の出来事を観客として見ているだけの人たちが、残念ながらいます。確かに、教会のすべての人たちが教会について考えることはいろいろな意味で難しいとは思います。ただ、そのような中にあって、消費者型や観客型の方々の中でも自意識の高い人たちが、現状に対する牧師や役員会の対応について無責任な難癖をつけてくることがないことを願っています。 
 
 もう一つ考えていることがあります。この状況が改善された後で、様々な経験を通じて生き方を変えたくて教会に来る人がいるでしょう。その時に、教会がちゃんとした言葉を語れるのか、福音がその人たちに届く準備ができるのか、それが問われると思います。これは、難しい状況が続く中にあっても、用意していくべきことでしょうね。