コロナ関連投稿集

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3月28日「妄想キング牧師~私には夢がある」

(キング牧師が新国立競技場から日本の諸教会に語ったら)

 今日、私は、オリンピック延期という歴史に残るだろうこの場所から、また、各地で外出自粛要請が出される中で、日本の諸教会に語り掛けられることを嬉しく思う。

 絶望の谷間でもがくことをやめよう。友よ、今日、私は皆さんに言っておきたい。私たちは、今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、聖書の約束に深く根ざした夢である。

 私には夢がある。それは、いつの日か、神が試練と共に備えてくださっていた脱出の道を、われわれが見い出し、歩み始めるという夢、約束のものを手にするという夢である。

 私には夢がある。それは、いつの日か、神の民が恐れなく礼拝堂に集い、神を礼拝し、飛沫感染を気にせず、喜びの賛美をささげ、共に食事を楽しみ、主にある親密な交わりを喜ぶという夢である。 

 私には夢がある。それは、いつの日か、災いの中で奪われていた恵みが回復した時、その恵みを再発見し、それまで以上に、喜びと感謝に満たされて信仰生活を送る「一時的喪失による恵みの再発見」という夢である。 

 私には夢がある。それは、いつの日か、以前のあり方に礼拝が戻った時、同じプログラムなのに、以前よりも、はるかに神が喜ばれる真実な礼拝がささげられるという夢である。 

 私には夢がある。それは、義務感でお付き合いのように決められた曲を歌っていた礼拝者が、心からの喜びをもって、歌詞を自らの信仰告白や願いとして歌い、神を賛美するという夢である。 

 私には夢がある。それは、いつの日か、交わりを避け、個人的信仰に終始してきた兄弟姉妹が、交わりの恵みに目が開かれ、交わりに生きる健全な神の民として歩んでいるという夢である。 

 私には夢がある。それは、いつの日か、自分の願い事に終始していた祈り手が、日本の諸教会、日本社会全体のため、世界中の苦しむ人々のために執り成す祈り手となっている自分を発見するという夢である。 

 私には夢がある。それは、いつの日か、牧師依存であった神の民が、試練を通過したことによって、キリストのからだの一部とのアイデンティティーをもって、牧師と共に教会のために祈り、考え、支える者へと成熟するという夢である。

 私には夢がある。それは、いつの日か、主の再臨を意識することなく、地上生涯を歩んでいた神の民が、終末を想起させる惨状に触れ、キリストの花嫁としてふさわしい者へと自らを整え始めるという夢である。 

 私には夢がある。それは、いつの日か、キリスト者の自由や社会的責任など考えも及ばず、自分の半径3メートルの信仰生活に歩んできた者が、目を開かれ、深い思索と広い社会性をもった信仰理解へと成熟していくという夢である。 

 私には夢がある。それは、いつの日か、安心して親しく語り合う中で、お互いが、以前に増して神と人を愛する者へと成長したことを発見し合い、互いの成長を喜び合うという夢である。 

 私には夢がある。それは、いつの日か、神の御手の中で、今のこの災いでさえ、神の民を成熟に向かわせ、キリストのからだを建て上げるために用いられたことを、われわれが悟り、神に感謝をささげるという夢である。  

 これが、われわれの希望である。私はこの信念を抱いて、今、この新国立競技場から、日本の諸教会に語り掛けている。

 この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができるだろう。

 この信念があれば、われわれは、この国の不安に満ちた不協和音を、平安に満ちた美しい交響曲に変えることができるだろう。

 この信念があれば、われわれは、いつの日か自由になると信じて、共に忍耐し、共に祈り、共に労していくことができるだろう。

 自由の鐘を鳴り響かせよう。災いからの解放の鐘を打ち鳴らそう。忍耐をもって祈り、希望をもって歩み続けるなら、神の子すべてが、恐れることなく、共に手をとり合って、神を賛美する日が到来するだろう。

 ついに自由になった!ついに自由になった!全能の神に感謝する。われわれはついに自由になったのだ!