コロナ関連投稿集

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4月8日「緊急事態下を生きる神の民②~恐れによらず、愛によって」

 昨日の宣言を受けて、対象地域の方々はもちろんのこと、日本中のクリスチャンが「緊急事態下を生きる神の民」としての歩みを始めたように思います。「緊急事態下を生きる神の民」はシリーズ化して適切なタイミングでお届けします。

 一昨日に紹介した「コロナ危機に立ち向かうクリスチャンが絶対にすべき三つのこと」と題した松田牧人牧師のセミナー動画を視聴して、重くて受け止めたことの一つは「恐れでなく愛を動機として」ということ。
 
  礼拝を全面的に配信に切り替えるとしても、その動機が「恐れ」と「愛」とでは大違いでしょう。「教会がクラスターを起こすと困るから」「地域の目、風評被害を受けないように」のような「恐れ」を動機とするか、それとも、「愛する兄弟姉妹と地域住民を感染から守るため」「愛する地域の方々にキリストを証するため」という「愛」を動機とするかで、結果は二分します。

 判断・実行は同じでも、動機によって、それがもたらす結果は、雲泥の差なのです。聖書には「一切のことを愛をもって行いなさい」(Ⅰコリ16:14)とあるように、愛を動機とするとき、その判断と実行は、神の業を前進させ、神の栄光をあらわすでしょう。

 また、「全き愛は恐れを締め出します」(Ⅰヨハ4:18)との聖句が示すように、愛と恐れは二律背反の関係。一方が私たちの心を支配し、もう一方を心から締め出します。言うまでもなく、神様のみこころは私たちの心が愛で満たされ、その結果として、恐れが締め出されること。

 
 そこで、「動機の違いがもたらす結果の違い」を比較してみました。 

愛は教会の活動を自粛させ、
恐れは主の働きを委縮させる。 

愛は危機の中にも共におられる神を見せ、
恐れは、そこに神がいないかのような妄想を見せる。 

愛は危機の向こう側に希望を抱かせ、
恐れは危機のこちら側で失望を突き付ける。 

愛は、危機を乗り越えさせ、
恐れは、危機対処に忙殺させる。 

愛は、危機下にあっても結びの帯として完全で、
恐れは、危機下で、愛の関係を分断する。 

愛は危機対処方法の違いを超えて、一致させ、
恐れは危機対処方法の違いから、分裂をもたらす。 

愛は牧師と共に危機を乗り越える思いを起こさせ、
恐れは、牧師に丸投げにして、批判する思いを起こさせる。 

愛は、人の心を満たし、みこころの歩みをさせ、
恐れは、人の心を満たし、悪魔の願う歩みをさせる。

 
「一切のことを愛をもって行いなさい。」
「全き愛は恐れを締め出します」

 これらのみことばを心に留め、歩みましょう。
「緊急事態下を生きる神の民」として。