コロナ関連投稿集

コロナ関連投稿集

5月26日「緊急事態下を生きる神の民㉑ ~コロナが開く『前例はないけど、やってみようの世界』」

 今、前例のない二つの奉仕依頼を受けています。一つは以前、お知らせした「録画説教の配信」。これはライブではなく録画した説教を奉仕先に送り、後日、配信礼拝の説教部分として流すもの。これは近日中に録画の予定。

 そして、次の主日は、何と!「ライブ配信でのペンテコステ礼拝説教」です。配信礼拝の中で、30分ほど使徒1章の前半からペンテコステのメッセージ。

 依頼をくださったのは名古屋の某教会。通常のように教会まで足を運び、礼拝説教をするのですが、無会衆配信礼拝です。牧師夫妻が司会と奏楽、信徒2名が配信奉仕。4名の会衆がいるので、それほど、違和感はないでしょう。

 

 糸川英夫博士には「前例がないからやってみよう」というタイトルの著書があります。「事前録画説教」と「ライブ配信」は、まさに「前例のない依頼」。「前例はないけどやってみよう」という勇気ある決断と実践。

 私は二つの教会の役員会にアッパレを差し上げたいです。そして、こうした役員会を作り上げた二人の牧師を尊敬します。なぜなら、前例踏襲に縛られず、よりよき礼拝を願って「betterの選択」をされたからです。

 
 「本質を外さず、益であれば、前例がなくても、やってみよう」ができる教会は決して多くはないでしょう。でも、イエス様が「前例無なきみこころ」を連発して宗教界から大ヒンシュクをかったことを思います。

 教会は「キリストのからだ」ですが、はたして私たちは、「前例なきみこころの連発者」であるキリストに似ているのでしょうか?それとも、猛烈に批判した宗教界の側に似ているでしょうか?

 私は「前例無きみこころの実践」は決して、教会の伝統を損なうものではないと考えています。むしろ、それは、「後世に残すべき伝統を作り上げること」でしょう。

 なぜなら、「伝統を守る」とは、「機械的に前例を踏襲すること」や「外的形式を保存すること」ではなく、伝統の本質を継承するために「必要な改革をすること」「必要なら前例のない試みをすること」だと考えるからです。(もちろんみこころでなければ、伝統破壊に過ぎません)

  
 コロナが収束に向かう中、礼拝の回復は決して、「復元」ではないだろうと思っています。回復した礼拝が、たとえプログラムが同じだとしても、前進していること、礼拝者が成熟していることを願っています。

 また、今回の件を通じて痛感していることがあります。それは、コロナによる「強いられての変革」、「前例なき試み」が、惰性、前例踏襲主義、悪しきしがらみなどから、教会を解放するのではないかということです。

 コロナによって失われたもの、損なわれたものは、決して少なくありません。しかし、コロナを経験したからこそ、教会が獲得する恵み、開かれていく希望も大いにあるように感じています。

 「マツコの知らない〇〇の世界」ならぬ「コロナが開く前例はないけど、やってみようの世界」が、既に今、到来しているように思えてなりません。