コロナ関連投稿集

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4月18日「あるネット礼拝者の回顧」

 少し前の投稿「コノサイ人への手紙」へのコメント欄に一人のクリスチャン男性が書いて下さった証しに感動。失敗経験から、真の礼拝者に向かっていった真実な証しだと思います。特に礼拝の「備え」についての実体験からの気づきには、目が開かれました。以下に、転載します。

 
  以前通っていた教会では、会堂まで距離があったので、インターネット礼拝を時々捧げておりました。初期の頃に、パジャマを着たまま礼拝していたことに、礼拝の時間が終わった後気付いたことがありました。同時に何となく違和感というか、緊張感の無さに気付きました。

 これではいけないと思い、その次の礼拝からは教会に行く時の服装に着替え、メールで送られてきていた週報を印刷して用意するといったことをするようになりました。

 別にパジャマを着て礼拝をすることが悪いというわけではなく、自分にとっては、着替えをしたり、週報を準備することが、礼拝を捧げる自分の心を備えることになると思ったからです。(逆に言うと、ちゃんと備えられるなら、パジャマでも良い。)

  
 実は普段は、教会堂に行くということを通して、礼拝における「備え」が自然となされていたのだと思います。それは、家を出て、会堂で皆さんに会うということを通してだったり、教会が提供してくれている場の雰囲気、プログラムなどを通して、気付かないうちに与えられていたのだと。

 自宅でネット礼拝をするということは、そういった自分自身の当たり前の行動だったり、誰かの犠牲だったりによってに与えられていた「備え」についても、責任を負う必要があるということなのだと思います。

 もちろん、クリスチャンは24時間365日礼拝者なのですが、インターネット礼拝を通して週の中のある時間を取り分けて捧げるのに必要な「備え」を意識すると、先生の言われる「真の礼拝者」に一歩近づけるのかなと、思いました。