コロナ関連投稿集

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3月5日「悪魔の雑談特別編~悪霊係長、新型コロナを語る」

日本支部の営業所で顔を合わせた悪霊係長とその同僚が新型コロナウイルスを語る。

係長「新型コロナウイルスには、助けられているな」
同僚「まあ、おれたちの営業には追い風だよな」
係長「一堂に会して礼拝しなくなった教会もあってうれしいよな」
同僚「通常の礼拝をささげる教会だって、困惑しているようでうれしいぞ」
係長「どっかのライブハウス同様のリスクと背中合わせだからな」
同僚「万が一、クラスターになれば、地域との信頼は破たん、日本中の教会の信用まで失墜だ」
係長「通常の礼拝をしてもしなくても、苦しんでいる教会の姿は最高だよな」
同僚「ああ、まあな」

係長「ネット配信礼拝を機に、収束後も教会の交わりに戻らないとか期待しちゃうぞ」
同僚「そういうのあるだろうな」
係長「献金が激減して、財政破たんっていうのも、楽しみだ」
同僚「リアル、それもありかもな」
係長「礼拝や各集会の決行、中止の判断を巡って、教会内の人間関係が険悪になるといいな」
同僚「そうなるかもなー」
係長「コロナウイルスが教会を弱体化し、神の業の前進を妨げている様を見ると、うれしくてたまらんぞ」
同僚「ああ、そうだな・・・」

係長「なんか、さっきから、リアクションが薄いんですけどー」
同僚「ああ、喜んでばかりいて、いいのかなーって思ってさ」
係長「どういうことだよ」

同僚「だって、迫害や試練の中にあるときこそ、教会って力を発揮するじゃないか」
係長「ああ、聖書の記録もそうだし、おれたちの経験からも、それ言えるよな」
同僚「神の愛はしぶといから気をつけろよ。」
係長「どれだけ、勝利を確信しながら、土壇場で大逆転負けしてきたことか・・・」
同僚「神はもちろんのこと、日本の教会を甘く見ると痛い目にあうぞ」
係長「痛い目って?」

同僚「礼拝中止を機に、クリスチャンたちが礼拝の恵み、意味、目的などに目覚めたらどうだろう?収束後に、義務感でなく喜んで教会に集い、いのちあふれる礼拝をささげるようになったら恐怖だぞ」
係長「まさに恐怖だ、悪魔的には、それ最悪」
 
同僚「地域の留守番する子どもたちを愛し、助け、地域に神の愛をあかしして、信頼を得たらヤバイよな」
係長「うん、確かにヤバイ。地域宣教が進んじゃうもんな」

同僚「教会の財政難の中で、誰かがバルナバレベルの献金をしたら、教会がリアルに勇気づけられるだろ?」
係長「それって、使徒の働き並みの恐怖だわ」

同僚「礼拝や集会についての判断が違っても、決定に従って、違ったままで一つになる聖書的一致を実体験したら、その後、教会が分裂しにくくなっちゃよな」
係長「うーん、それも不都合だな」

同僚「何より、これを機にクリスチャンが、神や永遠に目を向け成長したらどうだ?未信者たちも、失われることも滅ぶこともないものに心を向けるとしたらどうだ?」
係長「クリスチャンにとっては、最高の成長の機会、未信者にも求道のチャンスになっちゃうぞ」

同僚「コロナウイルスは、教会には、ピンチのようでチャンスかもしれないぞ」
係長「じゃあ、おれたちにとっては、チャンスのようでピンチかもしれないってことか?」
同僚「そういうことだよ。」
係長「じゃあ、チャンスとピンチを分けるのは、何だ?」

同僚「クリスチャンたちがどこに目を向けるかだろうよ」
係長「なるほどな」
同僚「だから、神でなく、目に見えるものに、視線をくぎ付けにしてやるんだ」
係長「それなら、感染リスク、礼拝人数、献金額、問題処理に目を向けさせ、神を想定外においてもらいましょう。」
同僚「そのためには、おれたちの得意技、目くらましだ」
係長「礼拝の恵み、交わりの喜び、試練の中での神の力ある働き、失われることのない希望など、実在する神の恵みをまるで実在しないかのように、目をくらませるんだ」
同僚「試練の時こそ、向けるべき神への視線を、試練そのものへと向けさせるんだー!」
係長「よっしゃー。非常時下での営業方針はこれだな」

同僚「後は、具体的作戦だな。サタン様にお出しする企画書を作成だ」
係長「牧師は対策と問題処理で忙殺、役員は意見対立で反目、高齢者は感染リスクの恐怖で支配、中年はパニックでトイレットペーパー爆買い、青年はライブハウスに誘導、子どもは留守番で交わりから遮断、教会は地域のニーズに対しては塩対応だ」

同僚「おう、それでいこう!神を忘れたクリスチャンなんぞ、ちょろいもんだからな」
係長「じゃあ、その線で企画書作成だ」
同僚「これなら、即決、実行だな」
係長「じゃあ、そういうことで。サタン様のところに行ってくるわ」
同僚「これで、おまえも、係長から昇進だな」

新型コロナウイルス感染の危機下にあって、
この営業企画が成功を収めるのか?失敗に終わるのか?
悪霊係長が昇進するのか?降格するのか?
自らを悪魔の協力者とするのか?敵対者とするのか?
それを決めるのは、私たち各自に他なりません。