コロナ関連投稿集

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5月30日「緊急事態下を生きる神の民㉔~妄想第一列王記」

 今回は、久しぶりの妄想ネタ。エリヤ物語のパロディー。ティシュベ人エリヤならぬ関西人無理矢牧師の物語

1.主の年、2020年の2月、コロナ(ラテン語で「王冠の意味))が日本に上陸し、王として君臨した。その時、牧師である関西人「無理矢」は、コロナ大王に言った。「主は生きておられる。私たちはどのような形であれ、主を礼拝することを止めることはない」

2.コロナ大王は猛威を振るい、教会の交わりを分断し、神の民を散らしていった。散らされた民は、オンライン礼拝やDVDや説教原稿、家庭礼拝などを通じて、主を礼拝し続けた。

3.慣れない礼拝配信に戸惑い、DVDと原稿の作成と配布が大きな負担となり、無会衆での説教は、経験したことのない疲労感を無理矢にもたらした。多大なストレスを抱えながらも、無理矢の無理によって、数か月の間、教会は礼拝を絶やすことがなかった。

4.6月を前に、コロナ王の勢いが停滞した時、主の導きが、関西人無理矢にあった。「散らされた民を集めよ。マスク着用、消毒徹底、換気に心がけ、社会的距離を確保し、主を礼拝せよ」

 
5.無理矢は、主の言われるとおりに、民を集め主に礼拝をささげようと決めた。久しぶりの信徒たちとの礼拝を心待ちにしていたが、数か月間の無理の積み重ねは彼を蝕んでいた。収束へ向かい、対面礼拝再開となった時、緊張の糸が切れて、心身に症状が現れた。彼は、「もうアカン、無理や」と関西弁でつぶやいた。

6.彼はこのままでは、牧師としてのいのちを失うと感じ、いのちを守るため、牧会現場を立ち去った。車に乗り、キリスト教系の療養施設に向かい、一日の道のりを入って行った。

7.彼は、コンビニの駐車場に車を止め、牧師生命の死を願っていった「ああ、もうアカン。無理や、無理や、やっぱり無理矢だけに無理やー」。自分の名前をネタにして、主に訴えた。

8・さらに無理矢は主に願った。「主よ、もう十分です。私の牧師生命をとってください。やめさせてください。私は、先輩に勝りませんから。礼拝続行派と配信移行派の対立の調整とか、先輩のようにはできませんから。さらに、私は後輩にも勝りませんから。後輩牧師のように、サクサクとネット配信とかできませんから。」

 
9.彼が車の運転席で眠っていると、見よ、一人のコンビニ店員がドアをたたき、「起きて食べなさい」と言った。彼が見ると助手席に、サンドイッチと缶コーヒーがあった。彼はそれを食べて飲み、再び運転席で横になった。

10.コンビニの店員がもう一度戻ってきて、ドアをたたき、「起きて食べなさい。あなたの牧師としての旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。

11・彼は起きて食べ、そして、飲んだ。そして、この食べ物に力を得て、四日、四夜運転をして、キリスト教系の療養施設に着いた。

 
12.彼は一つの部屋を借り、そこで一夜を過ごした。すると主のことばが彼にあった。主は「無理矢よ。ここで何をしているのか」と言われた。

13.無理矢は答えた。「私は遣わされた教会で熱心に仕えました。しかし、コロナ大王によって、神の民は散らされ、通常の礼拝ができませんでした。会堂には、ただ、私だけが配信のため残りましたが、コロナ大王は、激務とストレスで、私の牧師としてのいのちを取ろうと狙っています。」

14.主は言われた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」するとその時、主が通り過ぎた。(続く)

  
 今回の妄想はここで終わり。なぜなら、この物語の続きを記すのは、読者自身だから。無理矢牧師のこの先が、「無理や」で終わるか「ハレルヤ」に転ずるかを決めるのも、読者自身なのかもしれません。

 感染収束に向かい、対面礼拝が回復するこのタイミングこそ、緊張と糸が切れ、蓄積されたストレスと疲労、自らに強いてきた無理が、牧師たちの心身に症状となって現れることを覚えましょう。牧師の皆様、一度立ち止まり、自己客観視をされ、セルフケアを。そして、信徒の皆様には、牧師の働きの続行のために、為すべき判断と実行をと願います。