婚活、結婚準備

婚活、結婚準備

「親に結婚を反対されたら?」

 結婚についてのZOOMセミナーをしていると時々、「親の意向に沿わない結婚はどうか?」「親に反対されても、結婚していいのか?」などの質問を受けます。乱暴に言えば、結婚は「父と母を離れて」(創2:24)を前提とするものだから、親の賛同は最優先ではなく、必ずしも従う必要はないはず。
 
 一方で「両親に従いなさい」(エペソ6:1)と聖書にあるので、親がクリスチャンであるなしにかかわらず、親に反対された結婚は聖書的にはすべきでないと考える方も。そこで、もう少し丁寧に、私なりに3ポイントでアドバイス。
 
(1)親の意向を吟味、判断
 聖書は「子どもたちよ、主にあって自分の両親に従いなさい」と命じています。この「子どもたち」は未成年、親の保護下にある子どもを意味します。親を離れた子どもではありません。また、「主にあって」とあるように、親に従う前提は「神との関係」。ですから、親子関係より、神様との関係を優先すべきでしょう。というわけで、親離れをしているのであれば、親の意向は、尊重すべきでしょうが、最優先で必ずしも従う必要はないのでは?
 吟味としては、親の意向の背後にある動機を考えましょう。それが、子どもの幸せな結婚を願う思い、子への愛なら、間違っていても耳を傾け、その思いだけは受け止めましょう。しかし、動機が世間体や子の結婚を利用しての自己実現であるなら、聞くだけは聞いて、スルーがいいでしょう。それに従ってしまうと、「親に従った結果としての神様に従わない決断」になりかねないからです。
 反対の場合はその理由が大切、聖書の基準に反する理由であるなら、尊重すべきではないでしょう。例えば、「不安的な経済状態だから、心配だよ」は傾聴、「低収入の人との結婚なんて、恥ずかしい、幸せになれない」はスルー。「国際結婚を甘く見てはいけないよ」は傾聴。「〇〇人との結婚なんて、認められない」はスルーです。「伝道者と結婚?苦労はわかっているのか?」は傾聴。「伝道者との結婚なんて苦労しかないから、やめとけ」はスルー。
 
(2)自分の状態を吟味、判断
 まずは、自分が親を離れているか?自分を吟味しましょう。「親に従うこと=神に従うこと」なら、まずは、親離れを。神様の導きや召しと思っていても、親の意向に反することが実行できないのは、結婚する者として、心配です。信仰的にも親を離れて自立しましょう。親への依存心、心理的未分離という課題に気づいたら、それに向き合い、克服することは、最高の結婚の準備となります。
 また、親の反対理由が、自分や相手の明らかな未熟さ、自立度の低さ、深刻な人格上の問題など、結婚生活を困難とする内容なら、ぜひ、一考を。人生と結婚の先輩として、子どもを思っての反対の言葉は傾聴すべき。子どもをよく知っている賢明な親であれば、なおさらでしょう。反対理由である自分や相手の課題が、事実であるなら、認めて、向き合いましょう。時間をかけてでも克服するか、結婚断念か二つに一つです。
 
(3)主にある自己選択と自己責任
 最終的には「父と母を離れた者」として、また、「主にある者」としての自己選択です。親の意向が正しいのなら、尊重しましょう。それでも、なお、最優先は神様の召しや導きであり、それを信じて踏み出す自らの選択、決断です。そこで、問われるのは、自分が神様の御心や導きを判断して歩める成熟したクリスチャンかどうかです。
 同時に、「主にある自己判断」には、「主にある結果責任」が伴います。「父と母を離れているクリスチャン」は、自己選択の結果について、自己責任を負います。決して、他者の責任に転嫁しません。
 親の意向を尊重し、結婚しない選択をするなら、好きな人と結婚できなかったことを親のせいにしないことです。親の意向に反して、結婚した末に、うまくいかなのを親が反対して自分たちの関係が悪くなったなどと親のせいにしないことです。それをするような人は、そもそも「父と母を離れて」おらず、準備不足、未成熟のまま、結婚したことを意味します。
 
「御心と思うけど、親に反対されて・・・」
「親の意向に反した結婚をしてもいいのか?」
 指針となる聖書の言葉は、「両親に従いなさい」ではなく「父と母を離れ」だと私は考えます。
 苦悩の中にいる皆様、また、周囲の方のために、拙い指針が役立てば感謝なこと。