婚活、結婚準備

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「スペック婚より導き婚②~スペック指向は動物本能?」

 スペック婚は、近年に始まったものではなく、大昔から。フェミニストの小倉千加子氏は「結婚とは女の顔と男の顔を交換するシステムである」という趣旨の発言を残しています。
 女性にとって経済的自立が困難で、結婚して男性に経済的依存をせざるを得なかった時代は、「生存のための結婚」でした。女性が結婚に求めるのは、生活の安定。産業社会においては、その代表は、経済力、すなわちお金。
 逆に男性にとって妻は、人生のパートナーよりも、子孫を残すための存在、家業の手伝い、家事と育児の労働担当。そうなれば、求められるのは健康と美貌と生殖能力。
 まさにどちらもスペック指向。多くの結婚はこれまでも「スペック婚」の要素があったわけです。「女の顔と男の金」というスペックの交換システムという側面は否めないでしょう。
 そこで、考えたいのです。男性にとって、拭い難いスペック指向の代表は「容姿・外見」。なぜ、男性たちの多くは、「若くてかわいい女性」が好きなのか?これについては、クリスチャン男性も例外ではありません。30代後半でも、40代になっても、若い女性を願う傾向があります。その結果、男性自らも苦戦し、30代後半の成熟したクリスチャン女性も、スルーされてしまい苦しんでいる現状があります。
 
 代表的な見解によれば、年齢はもちろんのこと、顔の美しさもスタイルの良さも、男性にとっては「生殖に適している」との本能的指標なのだとか。美人は最も標準的な顔で、それは女性の健康の指針。ウエストがくびれていることは、その女性が生殖に適正であることを示す指標。つまり、男性が容姿を重要スペックとするのは、動物的な生殖本能に根差すわけです。
 
 一方の女性が男性の求めるスペックは、「安心・安定」につながるもの。現代日本社会にあっては、具体的には、収入、学歴、職業などのスペックに。これは、女性が「産む性」であることに由来すると言われます。
 子どもを産み育てるために、必要なのは、安定かつ安全な環境。そこで、それを保証してくれる男性との結婚を願います。女性が男性に求めるスペックも、また、動物的な生殖本能に根差しているわけです。
 では、クリスチャンであるなしにかかわらず、多くの男女にみられるこうしたスペック指向をどう考えればよいのでしょうか?創世記1,2章によれば、神様は、人間に性的欲求や生殖能力を与え、結婚相手と心と体を一つにする交わりに生きること、そして、いのちを生み出し育てるようにと人間を男女に創造されました。
 ですから、私は男性が好ましい容姿を女性に求めることも、女性が男性に安定や安心を求めることは、動物的で低俗なこととは思いません。むしろ、その本能性は、創造の意図に一定沿うことと言えるでしょう。つまり、結婚相手に求めるスペックとして、間違っておらず、自然なことだと個人的には思っています。
 しかし、そのスペックを最優先とするなら、あるいはそのスペックを判断材料のすべてとするなら、愚かな判断につながりやすいのは明白。一定正しいスペックの要求ですが、さらに重要な判断基準があるということ。
 それは、相手の人格、信仰、何より、神様の導き。つまり、「スペック全否定、導きがすべて」ではなく「スペックも大切な判断材料、でも、決め手は、人格、信仰、何より導き」だと思うのです。
「スペック婚より導き婚」です。
 男性は、女性に美しさや性的魅力を求めることで、肉的で汚らわしく思い、自分を責める必要はありません。女性も男性に現実的な安心や生活の安定を求めることを、世俗的で、打算的だと恥じる必要はありません。それは、一般的には動物的本能に根差すものでしょうが、クリスチャンにとっては、それは、神様の創造の摂理に沿ったことだと思うのです。
 繰り返しになりますが、もし、それを、「すべて」あるいは「最優先」として、相手を求めているなら、男女とも、一度、立ち止まって、考えてみて欲しいのです。
その「スペック婚」が、神様の導きを妨げかねないことを。
「スペック婚」を目指すことが、自らを「導き婚」から遠ざけていることを。