婚活、結婚準備

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「スペック婚より導き婚⑨~最後に本質的問いかけを」

 長く続きましたがこのシリーズも今日で最終回。スペック指向に囚われてしまうか、導き指向に向かうかは、当人の人間としての成熟度に依存します。クリスチャンの場合は、それがク信仰的成熟度にリンクするわけです。
 「祈るだけ、学ぶだけ」の脳内婚活をしている限りは、そのことはシビアに問われません。しかし、一歩踏み出して、具体的努力を始めるとそのことが突き付けられます。具体的努力に伴う痛みや恐れは、ただ、相手から拒否されたり、断られたりして、心傷つくことだけではありません。
 自らを省みる真面目なクリスチャンは「信仰の根本」が問われます。自分の「弱さや未熟さ」に向き合わざるを得なくなります。あるいは具体的努力の中で、それらを突き付けられます。
 結婚するとなれば、「ごまかし続けてきた事柄」も、「向き合いたくない課題」も、「認めたくない自らの闇」も、すべて相手に明らかになることが予想されます。クリスチャンの中には、このことの故に、具体的努力に踏み出せない方も少なくないようです。
 そこで、信仰の本質にかかわる問いかけをさせてください。
願っている結婚相手はどのような人か?
それは、自分が願うような相手だけか?
それとは、異なったとしても神様が導く相手か?
 
どのような経緯で結婚をしたいのか?
神様の介入を拒否して、自分の希望に沿ってか?
それとも、神様の導きをいただき、主の最善を願ってか?
 
結婚について願っているのは、
自分の顧客満足度か?
それとも、神様のご満足か?
 
結婚する目的は、
自分の快適さ、充足感、幸福だけか?
それとも、究極的には神様の栄光か?、
 
結婚生活で考えるだろうことは、
相手が自分にしてくれることか?
それとも、自分が相手にできることか?
 
結婚相手との関係は、
自分のための結婚相手か?
それとも、結婚相手のための自分か?
 
神様との関係は、
自分の願いを叶えてくれる神様か?
それとも神様の願いを叶えるための自分か?
 前者と後者は二者択一ではありません。自分の幸福や充足を求めることは決して肉的な間違った要求ではありません。神様は幸せのために結婚を定められたのですから。
 前者と後者については、比率や優先順位の問題です。後者が強い程、クリスチャンとして、また人格的にも成熟度が高いと私は思います。そして、そういうクリスチャンは出会いを活かせます。自分の希望とは異なる導きの相手を見逃さないのです。また、神様も導きやすく、周囲も支援の甲斐があるので、結婚に至りやすいのです。
 一方、自分の希望に執着し、神様の導きを限定し、「自分の弱さ、課題、闇」については、「認めない、向き合わない、ごまかし続ける」の三拍子ですと、結婚は遠のいてゆきます。結婚相手を求めながら、「自分にも神様にも向き合おうとしないクリスチャン」は、苦戦となる傾向が明らかです。
 「スペック婚より導き婚」です。本当にそうですよ!婚活のありようと結実には、その人の信仰的深みや人格的成熟度が反映されます。どうか、スペック通りの相手を見つける努力をするよりも、神様の導きに自分を委ねられる成熟したクリスチャンになる努力をなさってください。
 長年、結婚支援をさせていただいきながら、それこそが、祝福の結婚への確実な近道だと実感しています。