婚活、結婚準備

婚活、結婚準備

「成功婚、祝福婚、導き婚②~自分の求めか?神の備えか?」

〈中村譲先生の論考〉
 BIBLE&LIFE(百万人の福音)の2月号の特集「人の成功≠神の祝福」には、中村譲先生の論考も。著書「信じても苦しい人へ」は、多くの支持を得て、広く好ましい影響を与えたという面では、昨年の最優秀賞に値すると思っています。
「うまくいなかいところからが、信仰の始まり」という趣旨を伝え続けてこられた先生ならではの論考はぜひ、お読みいただきたいです。特に「うまくいかず苦しんでいる方」「信仰をこじらせているクリスチャン」にはお勧め。
〈婚活への応用〉
中でも、中村譲先生のこの言葉は、婚活に活かして欲しいもの。
「一概には言えないかもしれませんが、私たちが成功を求めている時の多くは、神様ご自身を求めていないものです。私の欲しいものを神様に求めているだけで、神様が用意しているものを受け取ろうとしていないかもしれません。」
 「神様に自分の成功を求めるばかりで、神様が自分に備えたものを受け取りそこないがち」ということでしょう。結婚に際して、自分の願いや条件を神様に願い祈ることは、決して悪いことではありません。むしろ、よいことでしょう。しかし、その理想や条件を絶対視し、最優先して、「成功婚」を求めてしまうと、どうなるでしょう?
 ずばり、神様が自分に備えた人を見逃すのです。つまり、「導きのひと」「御心のひと」を見逃すのです。神様が出会わせてくれているのに、「理想と違う」「条件に合わない」と判断して、スルーしてしまうのです。
 出会いがないのではなく、出会っているのに気が付かないのです。さらには、自分がそれで既に何度も失敗しているとの自覚もないのです。結婚を願う多くの女性の支援をしながら実感しているのですが、うまくいかないケースの多くが、このパターンです。
〈おこころ≠みこころ〉
当たり前のことですが、「おこころのひと=みこころのひと」とは限りません。言うまでもなく、「おこころ」は人の意志、「みこころ」は神様のご意志。おこころの求めを絶対視、優先するなら、みこころがわからず、受け止めることができなくなります。
 ですから、自分の正直な願いや条件を神様に求めながらも、それとは異なる方を安易にスルーせず、「導き婚」を求めて欲しいものです。紹介されたら、まずは、お会いすることです。逆に言えば、「理想から遠く、条件を満たしていない異性でも、導きなら、検討できる自分」になることでしょう。「結婚したいと思える異性」を見つけることより、「神様の導きを見逃さない自分」になることが、「祝福婚」への最短距離と言えるでしょう。
〈まとめ〉
私たちが成功を求める時、
しばしば、神様ご自身を求めておらず、
その結果、神様が備えたものを
受け取ろうとしない
 
独身者が「成功婚」を求める時、
しばしば、「導き婚」を求めておらず
その結果、神様が備えた「導きのひと」を
出会っていながら、見逃してしまう
 
結婚を願う読者におかれましては
「自分の求め」と「神の備え」
「おこころ」と「みこころ」
「成功婚」と「導き婚」を
その関係や優先順位を、一度、考えてみてはどうでしょう?