婚活、結婚準備
婚活、結婚準備
- 「スペック婚より導き婚①~神のストライクゾーンで勝負しろよ!」
- 「スペック婚より導き婚②~スペック指向は動物本能?」
- 「スペック婚より導き婚③~スペックに依存しない結婚愛」
- 「スペック婚より導き婚④~なぜ、容姿に惑わされるのか?」
- 「スペック婚より導き婚⑤~容姿に惑わされた実例」
- 「スペック婚より導き婚⑥~クイズ、この三高男性は誰?」
- 「スペック婚より導き婚⑦~三高より三低かもよ?」
- 「スペック婚より導き婚⑧~塵の指摘より梁の除去」
- 「スペック婚より導き婚⑨~最後に本質的問いかけを」
- 「恋愛に対しての評価と姿勢が、結婚を決める」
- 「恋愛結婚激むず時代に突入!①~知って欲しい現状」
- 「恋愛結婚激むず時代に突入!② ~牛窪先生の著書がお勧め」
- 「恋愛結婚激むず時代に突入!③~根底にあるイデオロギー」
- 「恋愛結婚激むず時代に突入!④ ~結婚観の適応不能?」
- 「恋愛結婚激むず時代に突入!⑤~相手に恋愛力を求めるなかれ」
- 「恋愛結婚激むず時代に突入!⑥~主にあるお友だち婚」
- 「恋愛結婚激むず時代に突入!⑦~可愛くて優しい人がいいの?」
- 「婚活者の自己決定、自己管理、自己責任セミナー①」
- 「婚活者の自己決定、自己管理、自己責任セミナー②」
- 「婚活者の自己決定、自己管理、自己責任セミナー③」
- 「婚活者の自己決定、自己管理、自己責任セミナー④」
- 「プライドの高さ+自己評価の低さ=婚活下手①」
- 「プライドの高さ+自己評価の低さ=婚活下手②」
- 「プライドの高さ+自己評価の低さ=婚活下手③」 ㅤ
- 「35歳の5年以内結婚確率①~まずは現実認識を」
- 「35歳の5年以内結婚確率②~女性の生き方の激変」
- 「35歳の5年以内結婚確率③~苦戦の原因とその克服」
- 「理想の結婚相手がハードルを上げることも」
- 「成功婚、導き婚、祝福婚①~成功婚か?導き婚か?」
- 「成功婚、祝福婚、導き婚②~自分の求めか?神の備えか?」
- 「成功婚、祝福婚、導き婚③~成功的相手より、祝福的結婚生活」
- 「最近聞いた驚きの伴侶選択基準」
- 「親に結婚を反対されたら?」
「35歳の5年以内結婚確率①~まずは現実認識を」
婚活支援団体ZWAIのブログを読み考えさせられています。何回かにわたりこの記事をネタにシリーズで記してみます。このブログ記事によれば、35歳の男性が5年以内に結婚できる確率は20.88%。35歳女性の場合は22.61%とのこと。さらに5年後となると、40歳男性の場合は12.8%、40歳女性の場合は9.76%にまで減少。
これは、かなり信頼できる数字。母集団には、もともと結婚願望のない方も含まれるので、実際の数字は少し上昇すると予想されます。それでもこの数字が大きく変化するとは思えません。また、クリスチャンとの結婚を願うなら、この数字を下回ることはあっても、大きく上回ることはないでしょう。
ざっくり言えば、35歳なら5年以内結婚確率は2割強、つまり、プロ野球で8番を打つ捕手の打率。40歳なら1割、これは9番打者である投手の打率。8番や9番に、どの程度、ヒットを期待するのかを考えれば、現実の厳しさがお分かりかと。
ところが、信仰が「現実逃避手段」として、機能してしまうと、この現実を直視せず、信仰的希望を抱いてしまいます。その結果、結婚に向かってのすべき努力や準備を、怠りがち。
何より、本気で結婚するなら必須と言える覚悟、価値転換、意識変革、対象とされるための自分磨きなどをしなくなってしまいます。すると、いよいよ「考えてもらえない人」や「選ばれない人」に。これは、クリスチャン婚活界でよく見られる「悪循環」。
そこでお願いです。「祈っているよ。神様は備えておらえるからね」は信仰的な励ましでしょう。しかし、周囲は、それを「その場しのぎの慰め」として使わないで欲しいのです。また、当人も、この信仰フレーズを現実逃から目を背けるために、用いないで欲しいと願います。
この「一見聖書的正論と思われる信仰的フレーズ」が誤用されて、婚活者の脚を引っ張っているケースは少なくないようにお見受けします。「現実の世界で働かない信仰」を助長しているように私には思えてなりません。
この信仰的フレーズは、ご紹介した現実を認識した上で、それでも本気で!愛と責任をもって、当事者に告げてください。当人も厳しい現実を現実として受け止めた上で、信仰的希望に歩んで欲しいと願っています。
「35歳は8番キャッチャー、40歳は9番ピッチャー」
キツいたとえで申し訳ありません。しかし、どうしても、現実の厳しさを正しく認識して欲しいのです。それが信仰的な歩みに不可欠だからです。
クリスチャンとの結婚を願う該当者の皆様におかれましては、この現実に向き合った上で、「現実に支配されぬ主にある信仰的希望」に歩まれますように。そして、すべき、準備、自己成長をと願っています。
