次世代育成と世代間問題
次世代育成と世代間問題
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に①~ペットボトル茶の始まり」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に②~教会備品としてのドローン」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に③~タイトルそのまんまの事例」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に④~今の視点からの再解釈」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に⑤~仕分けでなく発展的継承」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に⑥~老人が夢を見るために」
- 「老人は夢を見ず、青年は幻を失う①~夢を見ない高齢者たち」
- 「老人は夢を見ず、青年は幻を失う②~残像を見る高齢者たち」
- 「老人は夢を見ず、青年は幻を失う③~残像継続強制による幻の喪失」
- 「老人は夢を見ず、青年は幻を失う④~脱皮を拒否で死に向かうヘビ」
- 「巨泉さんの名言に触れて」
- 「若者に教会に来て欲しいと願うその動機は?」
- 「意味も目的も求めない世代を前にして」
- 「天動説としての世代間ギャップ問題」
- 「パウロ世代とテモテ世代の相互理解のために」
- 「若者に教会に来て欲しいなら、瑛人の香水を聴け!(前編)」
- 「若者に教会に来て欲しいなら、瑛人の香水を聴け!(後編)」
「若者に教会に来て欲しいなら、瑛人の香水を聴け!(前編)」
〈瑛人の「香水」覚えてる?〉
もう、何年も前のこと。娘から聞いたのは、話題の瑛人(えいと)が「香水」をテレビで初披露との情報。そこで、「ミュージックステーション」を視聴。ドラムスもベースも不要なアコギ1本の伴奏が歌詞を引き立たせる。その伴奏に導かれて、歌われ、語られるのは、三年ぶりに元カノから突然の電話を受け、再会する青年男性のストーリー。
もう、何年も前のこと。娘から聞いたのは、話題の瑛人(えいと)が「香水」をテレビで初披露との情報。そこで、「ミュージックステーション」を視聴。ドラムスもベースも不要なアコギ1本の伴奏が歌詞を引き立たせる。その伴奏に導かれて、歌われ、語られるのは、三年ぶりに元カノから突然の電話を受け、再会する青年男性のストーリー。
感心するのは、この楽曲が持つイメージ想起力。映画のように場面が想起され、主人公の心情が伝わってくる。その伝わってくるものが持つのは、「いまどき感」。
今どきの若者たちに向き合っている方、愛して理解に努めている方はこの楽曲の優れた点を評価できるだろう。「今どきの感じ」が見事に表現されているから。一方、なぜ、ヒットするのか理解できない方は、この曲から学ぶことができる。その意味で、この曲は、ベテラン世代が今どきの若者を理解するには、うってつけと言えそう。
〈楽曲に見る今どき青年象〉
今回は、「昭和のおじさん視点」からこの曲を論じる。その世代から「いまどき青年」がどう見えるか?逆に「いまどき青年」が上の世代からどう見られているのか?が伝われば感謝。というわけで、以下に、五つのポイントで、この楽曲に登場する「いまどきな主人公」を考察。
(1) 挫折ではなく、屈折をした主人公
今回、「香水」と対照的な関係にある楽曲として思い浮かんだのは、「いちご白書をもう一度」。学生集会にも出かけ、自分たちが社会を変えるとの夢を本気で信じた主人公は、その変えたいと願った社会に組み込まれていく決断をする。夢を諦め、社会の歯車になる妥協をするという「青春の挫折」を経験。
他方「香水」の主人公は、自分は何でもできるという幼児的万能感を抱いていたもよう。周囲は「夢」という美名でそれを肯定してきたのかもしれない。そのせいで、万能感を卒業しそこねたのか?どうも、現実路線への変更に失敗したようだ。今の彼は、人を傷つけて泣かせても、無反応の「自称くず」。人に嘘をついて軽蔑されても無反応の「空っぽ」に。どうも、やさぐれてしまい人格的欠損を生じたもよう。
これは、「青春の挫折」ではなく、「青春期における屈折」。青春期の挫折は「社会のレール」に人を乗せるが、青春期の屈折は「人の道」から人を逸脱させる。 青春期に経験するのが、挫折か屈折かは、「いちご白書世代」と「香水世代」の相違の一つだろう。
(2) 自己感情の言語化と明確化ができない主人公
変わってしまった彼女に対して、主人公は嫌悪など否定的感情を押し殺しているように見受けられる。好きにならない、復縁の意志はないと心で唱えながら、明らかに本心は揺れている。その動揺や葛藤を、彼は理性によって言語化できないし、意識化もできていない。
こうした言語化できない感情の揺れを、逆に言語で表現していることが、この楽曲の最高の魅力と言えよう。理性によって感情を一定把握し、言語化し、自覚しようとしないのは、いかにも「いまどき」。直感や感情が理性に先行するありようこそ、この主人公が生きている「時代の精神」を反映している。
(3) 明確な意志も決断もない主人公
この主人公には「自分はどうしたいのか?」がない。これもまた、「いまどき感」だろう。もう一度好きになり、再度付き合いたいとの思いもないわけではない。しかし、その正直な思いを決断実行に移すことは避けたいのだ。
その理由は、歌の結論にあるように、もう一度付き合っても、また、自分がふられると容易に予想できるから。つまり、自分が傷つくことを恐れて、決断実行しないのだ。リスクを冒してまで何かを獲得することより、自分が傷つかないことを優先するのは、まさに「いまどきのメンタリティー」だろう。
「昔の自分とは違う」「もう一度チャンスを」「これからの自分を見てくれ」と彼は言えない。それは「くず」「空っぽ」が彼の自己評価だから。自信のなさが、自己変革や向上心さえ奪っているようだ。彼には、意志も決断もない。正確には「ない」のではなく、「持った結果、自分が傷つくのが怖い」のだろう。
(4)責任を自分と相手以外に転嫁する主人公
自己感情が不明確で、意志も決断もないモヤモヤは、優柔不断さなど自分の性格に由来する。しかし、主人公は、それを香水のせいに転嫁。確かに彼女の記憶は香水の香りと結びつき、香水は彼女との幸せだった交際期間を想起させる。また、多くの男性は、臭覚によって性的刺激を受けるのも事実。しかし、そこに、すべての責任があるかのように結論づけるのはいかがなものか。
主人公はお笑いユニットのペコパのように決して相手を責めることも傷つけることもしない。本来であれば、香水をつけてきた彼女に、文句を言ってもいいだろう。しかし、彼は、「香水そのものに」責任の所在を置いて、すべての解決を図ろうとしている。そう、彼が、責任の所在を「香水そのもの」にするのは、自分が傷つかず、彼女をも傷つけないために他ならない。
(5)近代的自我とは正反対の主人公
事実を認識し、自己感情を客観視し、その上で、理性によって考えて、自分の意志で選択、決断、実行し、結果責任を自らが負う。これは理性主義的な近代的自我だろう。一方、この楽曲が描く主人公は、自己感情、意志、責任などについて、すべてぼんやり、もやもや。彼は「近代的自我」とは正反対の人格の持ち主だ。
言語化されないぼんやりとした感情が客観視されない自我を覆っているかのようだ。彼は、ポストモダン的なメンタリティーの持ち主だ。この人物にとっては、近代的自我を唯一の正解として求めてくる上の世代など、「自分の価値観を絶対視して一方的に押し付ける横暴な人物」でしかないのだろう。
男性については、別の心理学的な要因を指摘する声もあるようだ。それは「男性性の欠損」。いまどき青年男性の父親は団塊ジュニアで、父親に育てられておらず、男性性の獲得に失敗しているケースも少なくない。つまり「父親に育てられず父となった人物に育てられている不幸」を原因として指摘する声もあるようだ。確かに近代的自我は男性原理が強いように思う。
