次世代育成と世代間問題
次世代育成と世代間問題
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に①~ペットボトル茶の始まり」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に②~教会備品としてのドローン」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に③~タイトルそのまんまの事例」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に④~今の視点からの再解釈」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に⑤~仕分けでなく発展的継承」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に⑥~老人が夢を見るために」
- 「老人は夢を見ず、青年は幻を失う①~夢を見ない高齢者たち」
- 「老人は夢を見ず、青年は幻を失う②~残像を見る高齢者たち」
- 「老人は夢を見ず、青年は幻を失う③~残像継続強制による幻の喪失」
- 「老人は夢を見ず、青年は幻を失う④~脱皮を拒否で死に向かうヘビ」
- 「巨泉さんの名言に触れて」
- 「若者に教会に来て欲しいと願うその動機は?」
- 「意味も目的も求めない世代を前にして」
- 「天動説としての世代間ギャップ問題」
- 「パウロ世代とテモテ世代の相互理解のために」
- 「若者に教会に来て欲しいなら、瑛人の香水を聴け!(前編)」
- 「若者に教会に来て欲しいなら、瑛人の香水を聴け!(後編)」
「老人は夢を見、青年は幻を現実に③~タイトルそのまんまの事例」
事例は今日で終わり。明日からは、指針や提案です。というわけ3つ目は、そのものズバリの事例、私の知人牧師の実話です。
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約20年前、20代であった知人牧師が就任した教会の礼拝者数は十数人で、高齢者ばかりだったそうです。しかし、コロナ前には、礼拝者数は90人、平均年齢は30代となっていたとのこと。2011年の震災前にお伺いした時は、既にそれに近かったと記憶しますので、約10年間で教会は激変を遂げ、いのちを吹きかえしたと言えるでしょう。
「いったい何が起こったのか?」については、当事者である牧師から、詳細をお聞きしています。私が最も感心したのは、高齢者たちに謙遜に頭を下げて、自らの幻を伝えて、協力をお願いしたこと。高齢者たちに信仰的な夢を与えたこと。それに応答して、高齢者たちが、駆け出しの青年牧師を信頼し、一定、未来を託したことです。
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「お子さんが救われて、共に教会生活を送れたら、うれしいですよね」
「お孫さんたちと一緒に礼拝したいですよね」
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そんな幻を語りながら、忍耐強く、高齢信徒たちの理解を得て、教会のありようを変化させたようです。礼拝の外面的ありようが変化すること、とりわけ伝統的な賛美からワーシップソングに移り変わることは、高齢者にとっては、どんなにか不愉快で不安であったことでしょう。
しかし、それを許容した背後には、子どもや孫の救いと成長を思い描く夢がありました。その夢が、高齢者たちに若い世代を愛するが故の犠牲、妥協、容認を可能にしたのだろうと想像します。夢と幻が実現し始めれば、牧師は信頼を得ます。高齢者も、犠牲と忍耐の甲斐が出てきます。いよいよ、世代を超えた夢と幻に教会は歩みます。
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働きや専門分野の性質上、私は、若い世代が多く活発な教会にお招きいただくことが多いです。若い世代が生き生きとしている教会には、そのように教会をリードしてきた牧師やリーダーがいます。
しかし、牧師やリーダー個人の幻とリーダーシップだけで、教会のありようが決まるわけではありません。必ずと言っていいほど、次世代を愛し、夢を見て、牧師と幻を共有した高齢者や役員たちがいらっしゃいます。
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「いのちある青年たち」と「幻に生きる牧師」と「夢見る高齢者は」セットです。
これは将来への希望に満ちた教会の「三点セット」です。
単純化し過ぎでしょうが、化学式で言えばこうなるかも。
「幻に生きる牧師+夢見る高齢者→いのちある青年たち」
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今回、紹介した事例はその典型。まさに、高齢者信徒は「老人は夢を見る」です。青年牧師は「青年は幻を見る」の御言葉、そのまんまの成就。また、「老人は夢を見、青年は幻を現実に」というタイトルそのまんまの事例でもあります。
主の業の主権者は、神様ご自身です。人間が同じことをすれば、同じ神の業が起こるわけではりません。それでも、この事例は、若い世代を失い、存続危機にある教会にとっては、希望を抱かせ、重要な指針を示すのではないでしょうか。
