次世代育成と世代間問題

「老人は夢を見ず、青年は幻を失う①~夢を見ない高齢者たち」

〈新たなシリーズ〉
 今日からは新たなシリーズがスタート。先日、コメント欄にいただいた某牧師のリクエストに応答してのシリーズです。先日扱った高齢牧師やカルト牧師の夢と幻ではなく、一部の高齢の信徒たちの「肉的な思いや意向」によって、青年牧師ががんじがらめにされ、主にある夢や幻を失ってしまう問題を扱います。
 言い換えるなら、「一部高齢信徒による老害」を指摘し論じます。特に若手牧師の幻を失わせ、教会の将来を奪っていることについて記します。これは、最も指摘するのを躊躇するテーマです。それでも、あえて、この課題を扱うのには理由があります。
 それは、近年この課題は深刻化しており、教会の未来を失わせている事例、いのちを失いつつある教会を再生へと向かわせる神様の業を妨害している事例を、いよいよ多く見聞きするようなったからです。そしての先日いただいた敬愛する一牧師からのコメントが背中を押してくださったのです。
〈主にある夢は高齢者への恵み〉
 旧約聖書のヨエル書2:28はこう記しています。
「その後、わたしは、すべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る」と。使徒2:16によれば、この言葉は、ペンテコステの出来事において、成就されています。
 ですから、高齢者クリスチャンは、今日においても(直接啓示という意味ではなく)、御言葉と共に働かれる聖霊によって「夢」を見るという恵みに預かっているのです。社会や家庭における働きの多くを終えて、健康や体力においても衰えを実感し、死をリアルに意識し始める高齢期にあっても、クリスチャン高齢者は、主にある「夢」を見るという恵みをいただいています。未来への希望に生きられるのです。
 その夢は、自身の存命中とは限りません。死後に成就するかもしれない夢を見ます。それは、祈り続けてきた子どもや孫たち、あるいは教会を離れて行った年少者たちが救われるという夢。衰退していた教会が活性化し、地域宣教の実を結び、喜びに満ちた礼拝がささげられるという夢です。あるいは、主にある平和や正義が実現され、神様が願われる地域社会、日本社会となっていくという夢です。
 
 そこで、問いかけです。
「高齢者であるクリスチャンの皆さん、夢を見ていますか?!」
 夢をみなけりゃ、損ですよ。主の霊である聖霊をいただいた者は、高齢になっても、なお、未来指向で信仰的な希望を抱いて生きられるのです。何という素晴らしい恵みでしょう!
 ですから夢を見なけりゃ、それこそ「御霊の持ち腐れ」ですよ。「未信者と同じような高齢期を歩んでどうすんの?」と申し上げたいです。
〈高齢クリスチャンを2つに大別〉
 というわけで、ヨエル2:28と使徒2:16によれば、高齢者信徒は、2つに大別されます。それは、「御霊によって歩むクリスチャン」と、「肉によって歩むクリスチャン」です。そこで、両者を分かりやすく比較してみましょう。
前者は御霊によって、「主にある夢」を見るクリスチャン。
後者は、御霊に歩まず、「主にある夢を見ない」クリスチャン。
 
前者は、夢を見ながら教会の将来に希望と責任を持ちます。
後者は、夢を見ず、肉的な思いを抱き、将来には無関心か無責任。
 
前者は、御霊の実である愛に生き、神と人を愛します。
後者は、御霊の実を結ばず、自己充足的な歩みを続けます。
 
前者は、目の黒いうちだけでなく、その後に対して祈り、労します。
後者は、目の黒いうちだけの快適さ、安心を求めます。
 
前者は、存命中の自らのことより、神様と次世代のことを考えます。
後者は、存命中の自らが最優先で、神様と次世代は二の次です。
 
前者は、過去における主からの恵みに感謝します。
後者は、過去における自らの個人経験に執着します。
 
前者は、現在を、残念に思えても受け止め、正しい認識をします。
後者は、現在を、過去を基準に評価して、誤った現状認識をします。
 
前者は、正しい現状認識に立ち、教会のため祈り、労します。
後者は、誤った現状認識から、不平不満と他者批判に終始します。
 
前者は、未来に対して、過去とは異なる新しい恵みを期待します。
後者は、未来に対して、過去の延長や再現を願い、責任放棄します。
 そうです。御霊に歩み夢を見る老人は、過去を感謝し、現在を正しく受け止め、未来に期待し責任を持ちながら、地上の生涯の最後まで祈り、労します。
 他方、肉に歩む老人は、過去に執着し、現在を正しく受け止められず、未来に対しての責任を放棄したまま、自己充足的な地上生涯を継続します。
 その結果、前者は、後輩から尊敬され、若者の模範となり、愛されます。後者は、後輩に困惑され、若者を躓かせ、敬遠、嫌悪されます。
〈最後に問いかけ〉
 最後に問いかけです。
 高齢者であるご自身は、どちらでしょう?
 今後はどう歩まれるのでしょう?
 経験豊かな牧師は、どちらの信徒を育ててきたでしょう?
 後継牧師に、どちらの役員会を残すのでしょう?
 若い読者は、どちらを標準として、歩むのでしょう?
 こうした現状にある時、できることは何でしょう?
 それをさせてもらえる状況にあるでしょうか?
 ※次回は、夢を見ない老人が「何を見るか?」を記します。