次世代育成と世代間問題

「意味も目的も求めない世代を前にして」

 昨今の青年たちは、「生きる意味」とか「人生の目的」など求めていないし、必要ともしていないとのこと。真理を求めて教会を訪ねる未信者も、昔とは違いごく少数。私自身、この事実はショックだったし、受け止めるのには葛藤もありました。
 それなのに、なかなか「意味・目的・真理」を切り口に福音を伝えるスタイルから脱却しきれない自分がいました。もはや機能しない方法論と知りながら、モデルチェンジできない硬直した自分でした。最近は何とか、人生論的説教や目的・意味提示説教を避けられるように。
 
 以前、そうした中、最近、ムスリム伝道の経験を持ち、現在は日本の大学生伝道で実を結んでいる若い伝道者にお会いしました。
 
 彼は大学生に、人は誰も「宗教(偶像)」を持っていると伝えます。「自分は違う」と否定する学生たちに、彼はムスリムと日本の就活の共通性を指摘します。敬虔なムスリムの方々は、定時に礼拝をささげ、断食をしますが、彼の説明によれば、それは、神様により受け入れられるようになるため。このことは、学生たちが会社に受け入れられるよう就活に必死になるのに似ているわけです。
 
 日本では、断食で命を落とすムスリムの方々を「信じられない」と言いますが、海外では、日本の過労死や就活の失敗で命を断つ学生を「信じられない」と評価します。そこで、学生たちは自分たちが、社会や世間という偶像から、拒絶されることを恐れ、受け入れられることに命を懸けていることに気が付きます。まさに「受容と排除の神」からの受容を求めて生きる自分自身を発見するのです。
 そこで、自らが偶像礼拝者である認めた学生たちに、あるがままで受容し、共にいてくださる真の神様を紹介します。人は誰も神を必要とすることを理解した学生たちは、本物の神様を受け入れるわけです。(人生の意味や目的は信仰決心してから、本格的に教育されるとのこと。)
 
 対象に応じた柔軟な切り口、「意味・目的・真理不要の世代」への伝道モデルを示していただき、感謝するばかり。硬くなった頭を柔軟にしなくてはと思いながら、モデルが乏しかったので、これはありがたかったです。
 若い世代の伝道者から、「意味・目的・真理不要世代への伝道」の指針を教えていただけたのは大きな恵みでした。私の小さな経験が同様の葛藤や行き詰まりを感じておられる方々のお役に立てば感謝なことです。