次世代育成と世代間問題
次世代育成と世代間問題
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に①~ペットボトル茶の始まり」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に②~教会備品としてのドローン」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に③~タイトルそのまんまの事例」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に④~今の視点からの再解釈」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に⑤~仕分けでなく発展的継承」
- 「老人は夢を見、青年は幻を現実に⑥~老人が夢を見るために」
- 「老人は夢を見ず、青年は幻を失う①~夢を見ない高齢者たち」
- 「老人は夢を見ず、青年は幻を失う②~残像を見る高齢者たち」
- 「老人は夢を見ず、青年は幻を失う③~残像継続強制による幻の喪失」
- 「老人は夢を見ず、青年は幻を失う④~脱皮を拒否で死に向かうヘビ」
- 「巨泉さんの名言に触れて」
- 「若者に教会に来て欲しいと願うその動機は?」
- 「意味も目的も求めない世代を前にして」
- 「天動説としての世代間ギャップ問題」
- 「パウロ世代とテモテ世代の相互理解のために」
- 「若者に教会に来て欲しいなら、瑛人の香水を聴け!(前編)」
- 「若者に教会に来て欲しいなら、瑛人の香水を聴け!(後編)」
「老人は夢を見、青年は幻を現実に④~今の視点からの再解釈」
〈新米伝道者からの秀逸なコメント〉
以前の投稿に以下のようなコメントをいただきました。神学校を卒業したばかりの30代の伝道者かと思いますが、あまりに的確で成熟した内容にびっくり。私自身も大いに教えられたので、改めて以下にご紹介。
「遺産は将来に生かすべきものであって、後生大事に箪笥の奥にしまっておくべきものではないのでしょうね。若手牧師や継承世代に問われてるなぁと思うのは過去の遺産を今の視点から丁寧に「解釈」し直すこと。そこから普遍的なメッセージを読み取り、現在の文脈につなげて連続性を持たせること。それが結果的には伝統を守るということになるんだと思います。普遍的な価値を持つ遺産なら形を変えても残るはずです。」
うーん、30代でこのコメントが書けるとは、スゴイです。「伝統は守るものでなく作るもの」と言います。過去の恵みや結実の「外形」を保存することは、「伝統を守ること」ではなく、「残像を継続すること」に過ぎません。そうではなく、過去の恵みや結実を、未来に活かすことが、「伝統を作ること」であり、同時に、本当の意味での「伝統を守ること」になります。そのために必要なのが、まずは、「今の視点からの再解釈」と言えるでしょう。
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〈再解釈から始まる四つの段階〉
一定の歴史を持つ教会に、前任者から様々な遺産を引き継いで、就任した牧師には、これができるか否かが、未来を二分するように思います。
実際に、教団教会ですと、新任伝道者に対して、赴任した教会について、このことをするようにとメンター牧師が指導することがあります。知人牧師は新人に「教会員の誰よりも、教会について知っている人になるように」と指導されているようです。いただいたコメントの内容を私なりに整理すると以下のようになります。
① 今の視点からの再解釈
② 普遍的メッセージの抽出
③ 現在の文脈につなげての連続性の検討
④ 結果としての正しい伝統継承
まずは、その教会がいただいてきた過去の恵みや結実を確認し感謝します。まずは、歴史的事実を知るのです。だからといって、すべてについて同じ方法と現われで、同じことがおこることを期待するわけにはいきません。日本社会も人の意識も激変しているのですから、「今の視点からの再解釈」は必須でしょう。
それが、その時代限定の神の業なのか?それとも、普遍性を持つものか?を検討するわけです。その際に大切なことは、「外形」「体験」「感情」でなく、「本質」、「目的」、「意味」を見定めることです。前者に普遍性はありません。社会とその時代の精神性に強く拘束されますから。後者が普遍性を持つのです。
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〈事例としての毎主日夕方の伝道集会〉
普遍的な要素があるなら、継続するのが御心と判断すべきでしょう。しかし、過去の方法やあり方では、意味をなさず、結実も望めません。それを現代の文脈につなげます。
例えば、毎主日夕方の伝道集会をしていても、求道者が皆無で、実りもないという状態が続きます。社会は多忙化し、都市部では、多くが遠方に住むようになり、主日の夕方に教会にいること自体がかなりの負担となります。牧師も毎週、伝道説教を準備しながら、未信者が皆無で、何年間も受洗者ゼロというのはきついわけです。
そこで、かつての伝道集会に込められていた「伝道のスピリット」を「現代の文脈」に活かします。月に一度、主日礼拝を伝道的内容にする、家庭集会を伝道の場としていく、教会外での交わりの場を用いていくなどの改革をします。「教会に人を集め、御言葉が語られ、信仰決心」とは異なる多様なプロセスでの伝道に移行するわけです。
これは、「毎主日夕方の伝道集会をやめた」のではなく、「別のかたちで継続していること」を意味します。残像の継続でなく、本質の継続、ヘビで言えば脱皮に相当します。その意味で、結果として正しい伝統継承となるわけです。
「毎主日の伝道集会」という「昭和熱心系伝道」は、多様な形で「平成自然体系伝道」と形を変えて、本質を継承しているわけです。そのように、伝道について、多くの教会は、無意識に①~④をしてきたはずです。
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〈まとめ〉
ただ、毎主日夕方の伝道集会については、このことができても、他についてはできない現実があります。理由は簡単。毎週の伝道集会は信徒と牧師の両方が変更を願いますが、後者は、教会の多数派、決定権を持つ人たちが、願わないからです。
要は自分たちが変えたいことは変えられるのですが、そうでなければ、本来、変えるべきことが変えられないのです。それは、このシリーズで記してきた私たちの頑なさ、罪深さ、愚かさに由来することでしょう。
そうなると教会の歩みと神様の業を客観的俯瞰的に見て、普遍性を見つけられる「人」あるいは「リーダーシップ」が必要となります。①~④の必要性をわかるように説明し、納得を得て、実行に導くのです。まずは、牧師がそうであればと願います。そのためには、神学校教育において、こうした実践的な事例を学ぶ必要を覚えます。
また、牧師の孤軍奮闘では苦戦が予想されます。ですから、同じような視点を共有して、「今の時点からの再解釈」を始められる成熟した信徒、とりわけ役員の存在も不可欠でしょう。そうした信徒、役員を育てる教会でありたいものです。
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過去における神様の業と結実を未来に活かすために
外形でなく本質を、ヘビ皮でなくいのちを次世代に継承するために
本当の意味で伝統を大切にするために
高齢者が過去を残像でなく、未来に向けての夢へと変換するために
老人は夢を見、青年は幻を現実にする教会となるために
まずは、「今の視点からの再解釈」を始めてみませんか?
