結婚生活、夫婦関係、離婚

「離婚からの回復事例」

 日本の教会において、クリスチャンカップルの離婚者への対応に戸惑う一因は、教職者も信徒も、実際の回復事例に触れていないことかと思います。
 選んだ者を見捨てず、回復に導く神様の愛の真実さは、観念や教理ではありません。教会が神の家族として、祈り愛し支えていくなら、それは目に見える現実の歩みとなります。さらにそれは、教会にとって最高の慰め、希望です。回復に向かうかどうかを分けるのは、離婚者自身だけではなく、教会の交わりなのです。
 そのような回復事例、回復の恵みの証しを今日はお知らせします。クリスチャンカップルの離婚者を回復に向かわせた神の家族と呼ぶにふさわしい交わりがここにはあります。一昨日の投稿へのコメント自らの回復の証しをされた姉妹に、原稿依頼をしたところ、ご快諾くださいました。若干の編集を加えて、以下に転載します。(FBでは実名ですが、ここでは匿名)
 少し長いかもしれませんが、ぜひ、ご一読を。クリスチャンカップルの離婚という挫折からでも、回復の道を歩ませてくださる神様の恵みの豊かさのリアリティーに触れていただければ、感謝。
 
「暗闇は光に」 
  私には社会人の息子娘がいます。 多くの方々が彼らを見て「いい息子さん娘さんがいて幸せですね」と声をかけてくださいます。 私は決まって「私は悪い母親だけど、主と周りの沢山の方々の愛情をいただきましたからグレないでちゃんと育ってくれました」と答えます。 すると息子が「そうです。母1人ではこんな風に育っていません。(父親の暴力、母親の家出を繰り返しの生活で離婚しましたが)グレたくてもグレられない環境にあったんです。神様が愛してくださってるだけでなく、牧師先生、教会の人達、障がい者の方々、祖父母、近所のたこ焼き屋のおばちゃん、お好み焼き屋のおばちゃん、大家さん等沢山の方々に温かく見守られている、あの環境でグレるなんてことは絶対できない」と笑いながら語ります。
 
 クリスチャン同士で神様のみことばに導かれての結婚が破綻するなんて、私には想像することができませんでした。 でも命の危機を感じた時、そう決断せざるをえませんでした。 祈りは、みことばの約束は一体何だったのだろう…。 それからは賛美も歌えない、聖書も読めない、礼拝に来ても前を睨みつけるような信仰生活。 私の障がい者グループホームの仕事は、夕方から朝まで小学生の子ども二人で生活をさせることにもなってしまいました。
 教会の方々は深い慰めの言葉として「今はこんな風になってしまったけど、きっと神様がまた復縁させてくださるわ」と何人も声をかけてくださいました。 皆さんが愛情と信仰によって希望の言葉をかけてくださったことは痛いほどわかり、感謝なのですが、反面これほど私を苦しめる言葉はありませんでした。
 
 私は神様の前で誓約したのにそれを破ってしまった…。 私はとんでもない罪を犯してしまった…。 やっとあの苦しい結婚生活から逃れることができたのに、やっと自分や子どもの笑顔を取り戻すことができたのに、また復縁しなければならないのだろうか…?
 神様がそう導きをされるのに私が拒んだら私はどんなに大きな罪を犯すことになるんだろう…。 救いの確信により教会を離れることはありませんでしたが、私の心は嵐の海に浮かぶ小舟のようでした。
 
 壮年の兄弟は、父親がいなくなった子ども達に父親のように接してくださいました。 本当に親しく愛情をこめてまだ低学年だった娘にお馬さんごっこをして背中に乗せて這って遊んでくださり本当にありがたかったです。 様々な事情も重なり転会した教会でも牧師先生や壮年の兄弟の子ども達に温かい言葉と自分の子ども達と共にどこかに連れて行ってくださったり、教会が神の家族であることを実感させていただきました。
 祈りと共に温かい交わりをいただき、私の心は少しづつ癒されていきました。 でもそれには3年の月日を要しました。その転機はオンヌリ教会の母の学校に参加したことで訪れました。単にみことばを学ぶだけではなく、テーブル毎に訓練されたリーダーがおられ、様々な分かち合いをする中で、クリスチャンであってもこんなにも人は傷つき、苦しい所を通されるものなんだ、困難な状況下にあるのは私だけではないのだ、と初めて知りました。
 
 それは世の中の自助グループのような学びと分かち合いの時でした。毎日宿題が出るのですが、夫に手紙を書くというものでした。 リーダーは、「中村さん、いろんな辛いことがあったと思いますが、良いことを書きましょうね」と言ってくださいました。 それは神様からの私に対するメッセージだったのです。 何回も何回も何回もこの言葉がささやきかけてきます。良いこと? 神様の導きを受けての結婚 だけど私は全うすることができなかった。 それなのに良いことなんて見つけることができるのだろうか…。
 悩み祈りながら夜机に向かった時、本当に素直な気持ちで自分を、彼を見つめ直すことができました。 確かに良いこともあった。 残念なことはあったけど、そこはお互いに神様との関係の中で悔い改めて生きていきましょう…という内容を書いた気がします。 書き終えた時、深い慰めと平安が訪れました。
 
 子ども達は成長していく中でインターネットの世界で父親と繋がりました。 私はそのことを肯定しました。 娘は彼の暴力によるトラウマから心の病を身に受けてしまいましたが、反発しながらも心の深い所で父親を求める気持ちがあるのだと思いますし、息子は何回も会いたいと連絡してもことごとく拒否され傷ついていましたが、連絡を取り合える関係を結べたことを喜んでいました。
 離婚は結婚の10倍力が必要だといいますが、クリスチャンの場合は100倍大変だと思います。 個人的な悲しみ、家庭の崩壊による子どもの心や体の傷、夫婦の回復を祈りながら聞かれなかったことによる信仰生活の挫折、誓約を守れなかったことに対する罪悪感。
 クリスチャンなのに証を立てられなかったこと。 復縁が祈りによって導かれるのではないかという期待と恐怖。
 でも神様はどんなに大変で、困難な状況にあっていても、御自身を求め近づく者に救い出してくださいます。悔い改めとみことばと共に、 離婚の痛みに対する教会の理解と慰めと神の家族という温もりのある交わり、 そしてクリスチャンでない近所の方々、学校、医師、カウンセラー、家族、等 沢山の人々を周りに備えてくださることで与えられた神の恵みでした。 声をかけて見守ってくださる方々の温かいまなざしと実際的な交わりは、子どもが愛情を感じ、大変辛く困難な状況を乗り越える大きな助けになります。
 
 現在社会人の息子は、 「こんなに愛されて見守られているのにグレるなんてできない。 グレたくてもグレられない環境だった」 と笑います。 そして、家庭問題をかかえる教会の子ども達に本気で寄り添い共感できるのは、本来はあるべき姿ではないことだけれど、 離婚を経験したからこそのものだ、と自分の辛い経験をも益にしてくださる神様に感謝することができるようになっています。
 クリスチャンとして神様に従い、もっと早く自分の弱さと向き合って悔い改めていく中で、離婚の危機を乗り越えて素晴らしい証をするクリスチャンホームを築けたかもしれない、と思う時、信仰者としてBESTな歩みができなかったことを素直さに認めます。 でも、たとえそうであっても神様は神様に従いきれない弱さをかかえた私を赦し、betterな生き方をすることをも受け入れてくださいました。神様の赦しと教会の牧師、信徒との神の家族の本当に温かい交わりは傷を癒し人を生かすものであることを実感しています。
 
 「私はあなたがたに新しい戒めを与えます。 互いに愛しあいなさい。 私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛しあいなさい。 互いの中に愛があるなら、 それによって、 あなたがたが私の弟子であることを、 すべての人が認めるようになります。」( ヨハネ13章34、35節)
 私も息子も娘も、それぞれが苦難を通し神様に出会い、クリスチャンでありながら暗闇の中を歩んでいた者でしたが、愛の光に照らされ、全てのことを益にしてくださった主に感謝と賛美を捧げています。 こんな日がくると思わなかった。 こんなにも穏やかな日々が与えられるなんて想像もできなかった。 主に心から感謝しています。 終