結婚生活、夫婦関係、離婚

「離婚について~本当に悲しいことは?」

〈近年のクリスチャン離婚事情〉
 クリスチャンになる前に離婚経験あり。離婚をきっかけとして入信。未信者と結婚して離婚。これらは三つは以前にも見聞きしてきたケース。しかし、近年は、クリスチャンカップルの離婚や離婚危機について牧師から、相談を受けることが急増。奉仕先の教会で相談を受けたり、メールで相談が来たり。
 個人的にきついのは、牧師夫妻の場合。離婚危機にある牧師夫妻や結果的に離婚に至った牧師夫妻の事例に関わったことも、何度かあります。現時点でも、間接的ではありますが、四組ほど、クリスチャンカップルの離婚危機に関わっています。
 
〈離婚、悲しいことリスト〉
 そんな経験から、クリスチャンカップルの離婚について「本当に悲しいこと」を列挙。
 
・自らの結婚破壊行為によって離婚するのは悲しいが、離婚後も自らの非を認めず、悔い改めないために、回復できず、さらに悪い状態に向かっていくのは、より悲しい。
 ・自らの課題によって離婚に至るのは悲しいが、その課題に向き合わず、克服しようともせず、離婚した相手と教会を非難し続けて自己保身と責任転嫁に終始するのは、さらに悲しい。
 ・神様の介入も、みことばの光も、教職者から牧会指導も拒否しながら、離婚をするのは悲しいが、離婚後も同じスタンスで歩み続け、回復自体を拒否している姿は、もっと悲しい。
 ・相手からの極めて不当な扱いによって離婚せざるを得なかったのは、悲しいが、なぜか、相手でなく、自分を責め続け、立ち上がれないでいることはさらに悲しい。
・離婚によって希望を失うのは悲しいが、離婚後の歩みにも希望を与えるイエス様まで、見失ってしまうのはもっと悲しい。
・離婚のショックから立ち上げれないでいるのは悲しいが、立ち上がらせてくださるイエス様の「床を取り上げて歩みなさい」との語り掛けを聞こうとしないのは、さらに悲しい。
 ・離婚自体も悲しいが、反省も学習も、悔い改めもなく、再婚し、それも破たんさせ、再婚相手と子どもを苦しめるのは、とんでもなく悲しい。
 ・一組の離婚によって教会が傷つくのは悲しいが、傷ついた離婚者を、善意の聖書的正論によって、さらに傷つける教会員がいるのは、その何倍も悲しい。該当者に注意しても何が悪いのか理解できないのもまた悲しい。
 ・クリスチャンカップルの離婚は悲しいが、離婚後に安心して教会に集えないような交わりはもっと悲しい。
 ・共に教会に集うクリスチャン夫婦の結婚破たんは悲しいが、離婚後に、無言の疎外感を与えて、教会を去らざるを得なするようなパリサイ的、個人主義的、エリート主義的な教会の交わりは、さらに悲しい。
 
 残念なことに離婚自体より、離婚後の歩みがさらに悲しいケースも少なくありません。これは、本当に悲しいです。なぜなら、神様は離婚者を愛し、決して見捨てず、共におられ、回復の歩みを導こうとしておられるからです。
 
〈結婚継続悲しいことリスト〉
  一方で結婚を継続している夫婦にも悲しいことが・・・。
 
・離婚をしないだけで、結婚を神様の喜ばれるものにしようと願わず、聖書が示す努力をしないクリスチャン夫婦も、また、悲しい。
・離婚をしないことだけを守り、形骸化した夫婦関係で、子どもに情緒不安や心の歪みを与え、信仰を持たない逆決心へと導いているクリスチャン夫婦も、また悲しい。
・死んだ結婚にお葬式を出すのは悲しいことだが、既に死んだ結婚という死体を放置し、死臭を放ちながら、家族や教会を苦しめているクリスチャンは本当に悲しい。子どもと教会の兄弟姉妹に、結婚相手の悪口を語り、夫婦で向き合おうとしないのだから、悲しい。そうした方が、結婚継続の苦しみから解放されたと思える離婚者を裁いているとしたら、これは最高レベルで悲しい。
 
 神様のみこころは「離婚をしないこと自体」でも「結婚を継続すること自体」でもありません。神様のみこころは、「した結婚を豊かな実り豊かなものとすること」のはず。離婚回避だけが、唯一の正解でも、最優先でもないはず。神様が意図された本来の結婚の喜びをクリスチャン夫婦こそが味わい、夫婦や家庭を通じて神の栄光を現わすことでしょう。
 
 この「悲しいことリスト」から、神様が離婚について、本当に悲しまれること、そして、離婚者とその周囲について、切に願っておられることが、見えてきたらうれしいです。