「御心が分からないと悩むあなたに」

「御心が分からないと悩むあなたへ(5) ~君はひとりじゃないよ、つながっているからね」

  今日で最終回です。ここまでお付き合いをありがとうございます。御心を判断するに際して、重要なことの一つは、「自分一人で考えて判断しないこと」です。御心が分からず悩むときには特にそうです。自分一人で、一面的な発想と限られた頭脳で考えるよりは、みんなで考える方が、確実です。

 そこで、今回お伝えしたことは「君はひとりじゃないよ、つながっているからね」ということ。ありきたりのJ-POPの歌詞のようで、恐縮ですが、これは聖書的。なぜなら、信仰の戦いは、「個人競技」でなく、「団体競技」だから。クリスチャン個人は、キリストのからだの一部だからです。
前回お伝えしたように、「そこに愛はあるんか?」「そこに神はおるんか?」と自問しても、「自分でも分からない」ということがあります。私たちは、厳しい状況に置かれたり、混乱状態にあったりすると、自分の感情や思いさえ判別不能となります。

 そうした時に、御心を判断する力となるのが、教会の交わりです。誰かの助けを得れば、自分でも分からない自己感情や思いを言語化できることがあります。また、愛し祈ってくれている人たちはの中には、自分以上に自分のことを深く理解している方もいます。特に自分の無自覚な欠点は、他者には明らかなものです。「愛があるか」「神はいるんか」についても、当人より周囲の方がわかる場合も少なくありません。
 愛の故に、本当のことを言ってくれる指導者や信仰の友がいるなら、その方に相談し、アドバイスをいただきましょう。それは、確実な判断をするための大きな助け。もちろん、最終的に御心を判断するのも、その結果責任をとるのも自分自身です。
 悩みと葛藤の中、私たちは、あるべき自分と正反対になることが。つまり、主観的になること、思い込みが強くなること、自己客観視能力が低くなることがあります。とりわけ、そうした場合には、交わりに生き、周囲の方のサポートをいただくことをお勧めします。

 そこで、問われるのは、「真剣に向き合ってくれる信仰の友や指導者がいるか?」ということ。第一の候補は伴侶です。既婚者であれば、必要な時に向き合えず結婚関係かどうかが問われます。次には、愛の故に、傷つけることも覚悟で、本当のことを言ってくれる信仰の友がいるでしょうか?さらには、指導者は、そのように愛をもって戒めてくださるでしょうか?
 いないとしたら、それは、いないのでなく、失ってきた可能性が高いのだろうと私は予想します。愛をもって忠告してくれた伴侶や友に逆切れ、愛のアドバイスを受け止められず露骨に不機嫌顔、愛の苦言を呈する兄弟姉妹には「さばいている」と断罪。愛の故に課題を指摘する牧師を「愛がない」と非難。

 「一方で親密な関係を求めながら、他方で自らの手でそれを壊してしまう」というのは、ある種の心の病の方の特徴だと言われます。でも、それは、程度の差こそあれ、個人主義的で、疎外感を与える社会にあっては、現代人の多くに見られる傾向かと思うのです。
 逆切れ、不機嫌、断罪、非難などの経緯があるとしたら、それは、「いない」のではなく、「失ってきた」のです。神様が与えてくださってきた愛の交わりと主にあるつながりを自らが断ち切ってきたのです。そして、かたくなさの故に、自らを孤立させているのです。身に覚えのある方は、悔い改めて、ぜひとも、関係改善を。

 というわけで、御心が分からないなら、「君はひとりじゃないよ、つながっているからね」を思い出しましょう。個人レベルでなく、キリストの体の一員とのアイデンティティーをもって、御心を周囲の助けを得て、探っていくことをお勧めします。

 5回にわたる連載が、悩みの中にある方々のお役に立つことを願っています。