信仰生活

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「キーワードとしてのコンフォートゾーン①~それは何か?」

 今日の午前は、私が「自己肯定感のプロ」と尊敬する某牧師とZOOMでお交わり。その中で初耳だったのが、「コンフォートゾーン」という言葉。某牧師によれば、実は、自己肯定感の向上を妨げている心理学的要因は、この「コンフォートゾーン」とのこと。神様からあるがままで愛されていると自覚していても、悲しい程、自己肯定感の低いクリスチャンが多い現実の説明も、一定これでできそう。
 人間の心理には、自分が心地よいと感じる領域があって、頑なにそこを出たがらないのです。たとえば、結婚生活の不満を訴えながら決して別れない夫婦、職場の悪口ばかり言いながら、絶対にやめようとしない社員、所属教会や牧師を痛烈に批判しながら、教会を変わろうとしない信徒などです。
 人間には複雑で不合理極まりない心理があるものです。それは、聖書にも描かれていると思います。「弱さの中に留まることの安心」「不幸という心理的安全地帯」「身近にろくでなしがいることの都合の良さ」。私は、ケース別にそんな表現をしてきましたが、「コンフォートゾーン」という言葉は、これら全体を包括的に説明できるとも便利な言葉のようです。
 訴えている苦しみや文句をいう状況は、そのゾーンから出さえすれば解決するのです。しかし、実のところは、今の状態に、心地よさを感じており、心の深い所では、そこを出るのが嫌なのです。あるいは恐怖なのでしょう。
 神様からあるがままで愛されていると知っていて、自己肯定感が向上しないクリスチャンは少なくありません。無条件の愛が必ずしも、愛された者の自己肯定感を向上させていない現実があります。いいえ、むしろ、それが多数派だと私は経験的に考えています。もちろん、そこには、信仰面での原因もあるでしょうが、心理学用語「コンフォートゾーン」で、かなり説明可能なように感じています。
 このシリーズでは、3回にわたり、コンフォートゾーンとの関連で、私なりの考察を記してみます。