信仰生活

信仰生活

「あるがマニアの時代①~福音との関係において」

1970年代に登場した言葉と記憶する
聖霊の賜物に熱中し、本質を失う一部のキリスト者たち
かつて、彼らは「カリスマニア」と呼ばれた
これは「カリスマ」+「マニア」の造語
1990年前後に日本に登場したと記憶する。
「あるがまま愛される」を最優先とするキリスト者たち
私は、彼らを「あるがマニア」と呼びたい
これは「あるがまま」+「マニア」の造語
拙著「悪魔の格言」の第一日の格言は
「あるがまま、ずっとそのまま、いつまでも」
これは、まさに「あるがマニア」を描いた格言
「あるがままの愛」を福音のすべてとしないための警告
もちろん、神様の愛は無条件の愛
あるがままの私たちを愛してくださる
それは、私たちを喜び、平安、希望で満たす、
一方、その愛は、愛された者を活かし、変え続ける
聖書は各所で、宣言したり、約束したり、命じたり
「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます」
「心を新たにすることで自分を変えていただきなさい」
「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」
神様が愛の故に、与えている恵みは
信仰者の成熟、自己変革、聖化の恵み
聖書のかなりの部分はこのことを記している
あるがままの愛より多くのページを割いている
あるがマニアたちはそれらの恵みを全否定
それらを求めず願わずの信仰生活を正当化
永遠の幼児、万年初心者として信仰生涯を希望
さらに、その希望の実現を周囲に要求
「聖書にあるように変えられましょう」と言えば、
「先生はあるがままで愛してくれない」と逆切れ
「先生は弱い信徒をさばいている」と不当な反撃
「愛がないから教会を変わるかも」と脅迫まがい
あるがマニアは時に、弱さで人をコントロール
自分の未熟さを手段にマウントをとることも
指導者、先輩、兄弟姉妹は、くれぐれもご注意
あるがマニアに翻弄されても、支配はされないこと
成熟したキリスト者に必要なのは愛の忍耐
あるがマニアを「あるがまま」で愛し
その課題に暖かな理解を持った上で
忍耐をもって、課題に気づくよう導きたいもの
これは、かなり困難でレベルの高い愛の実践
しかも、必ずしも効果があるとは限らない
でも、教会の中のあるがマニアのためには
このことが、周囲がすべき聖書的な努力なのだろう