牧師、牧師夫人、牧師交代

牧師、牧師夫人、牧師交代

「牧師交代、驚愕の成功事例?」

 牧師の世代交代や教会指導者の責任移譲は、大きな課題となっています。とりわけ伝統ある教会や規模の大きな教会では順調にいかないケースが多いもの。そこで、今日は、先日、知人牧師からお聞きした「特異な成功例」をご紹介。
 ある集会で、このことがテーマにされ、責任移譲を果たした牧師が証しをされたそうです。都市部ではない地方で、かなり大きな規模を教会を牧しておられた牧師のようです。伝聞で不正確なのですが、再現してみます。
 
 その牧師は責任移譲を考えたのでしょう。ある時「私は一年間、旅に出ます」と教会員たちに宣言し、その通り実行します。残された後継予定者と信徒たちは、大変ながらも、主任牧師不在の中で立派に教会を守り、導いたそうです。
 一年後には、その牧師が帰ってきます。大喜びで迎えた教会の中、講壇に立った牧師がしたことは「突然の引退宣言」。あっさりと責任移譲をしたとのこと。きっとご自分がいないくても大丈夫と確認できたからでしょう。引退をされたこの牧師、今は、教職者としての奉仕はせず、ひたすら草むしりと掃除に励んでおられるのだとか。
 
 「ホンマでっか?」と言いたい事例ですが、話しが盛ってあったとしても、大筋、事実と思われます。もちろん、こうした「フーテンの寅さん的手法」には賛否があるでしょう。というか、誰もまねできません。しかし、牧師交代における本質面においては、「モデル」、あるいは「達人」と言えるのではないでしょうか。その本質面を私なりに、いくつか、以下にあげてましょう。
 
(1)しがみつかずに責任移譲したこと。
あるいは、しがみつく年齢に達する前に、交代を決断実行したことです。
 多くの場合これができなくて、破たんします。責任移譲したはずの牧師がしがみつくことで、後任者が苦しむことさえあるようです。
 
(2)教会から存在自体がなくなったこと。
 責任移譲後も、一定期間、前任者がいることが悪いわけではありません。順調な移行をするために有効な場合もあります。しかし、前任牧師に心情的に依存する信徒たちが、後任牧師を認めないような態度をとる場合も。信徒が前任者に後任者の悪口を言うなどは、最悪。
 後任者が十分信頼できるなら、譲った後は、前任者は姿を消す、信徒に連絡先も教えないという選択もあるのでは。(もちろん、前任者は礼拝と交わりを必要としますが)私の尊敬する牧師は、「私は、死んだと思ってください」と信徒に告げ、一切の連絡先を知らせず、連絡不通として、後任に譲りました。
 
(3)後継者を育てたこと。
 後継者がいないために、あるいは育てることができず、いつまでも責任移譲できずにいるケースは少なくありません。招聘するにしても、内部で育てるにしても、責任移譲に向けて、準備をしてきたことが大正解です。
 
(4)自分が退いても大丈夫な信徒を育てたこと。
 旅に出ていた一年間で、後任予定者と信徒が、協力して歩んでいけると予想していたのでしょう。つまり、信頼できる後任者だけでなく、その後任者を拒否したり、潰したりせず、信頼し共に歩める信徒を育てていたわけです。信徒を自分に結び付けず、神様に結びつけていたことが予想されます。よく言われることですが、牧師の理想は「自分がいなくても大丈夫な会衆を育てること」ですから。
 
(5)引退して一信徒のように歩んでいること。
 引退したら、「引退牧師」や「名誉牧師」も結構でしょう。でも、理想は肩書はどうであれ、事実上の一信徒として歩むことかと私は思います。信徒は「先生」と呼ぶでしょうが、一キリスト者の原点に帰り、草むしりと掃除に励むのは、次世代の信徒にとって最高の証しではないでしょうか?
 一見、過激で非常式に見える牧師交代劇から見えてくるのは、多くの教会が果たせずに苦しんできた「牧師交代の本質」ではないでしょうか?五つのうちのどれ一つ達成できない高齢牧師は少なくありません。そんな中、五つとも達成しているとしたら、まさに「達人」。これは、今、多くの教会が牧師交代で困惑している中にあって、本質を示す模範事例ではないでしょうか?