牧師、牧師夫人、牧師交代

牧師、牧師夫人、牧師交代

「男性牧師への不満・要求を 牧師夫人に伝える女性信徒③」

 今日で、最終回です。これまで、記してきたような牧師夫人の理不尽な苦悩を避けるためにできることは何でしょう。
〈牧師については当人に〉
 私の知る何名かの牧師は、牧師夫人を介さず直接にと信徒にお願いしているようです。「牧師についてのことは、妻にではなく、私に直接おっしゃってください」と信徒の語り、一つのルールにし、経路を定めているわけです。これが実行できれば、牧師夫人のストレスは大きく軽減するでしょう。
 しかし、妻を守るためとはいえ、メンタル弱め系牧師は、これを実行すると自分が潰れます。また、信徒に怖がられている牧師、わかってもらえないと思われている牧師、言っても無駄と諦められている牧師ですと、牧師夫人経由が絶たされると、一切の経路が絶たれてしまいます。
〈役員の役割として〉
 その場合、役員が牧師への仲介役を果たすことは、一つの解決策でしょう。教会によって「役員とは何をすることか?」は多様。時に不明確で、役員自身が困惑していることも。
 ですから、牧師への仲介役を、役員の働きの一つとして定めて、教会全体にも共通理解をしてもらうことかと思うのです。そこには、中間管理職的なご苦労もあるでしょう。「それなら、役員やりたくない」との声が起こり、ただでさえなり手がいないのに、さらにいなくなるかも。このあたりは教会員の成熟度に左右されそう。
〈二つのタイプ〉
 そもそも、信徒たちは、牧師への不満や要求をすることの是非で悩みます。真面目で成熟した信徒ほど、牧師の権威を尊重し、正当な不満や要求さえも、控えてしまいます。逆に愛と思慮に欠ける未熟な信徒が、牧師や牧師夫人に自分本位の不満や要求をする傾向があります。言うまでもなく、牧師夫人にダメージを与えるのは後者です。
 前者については、何らかの「経路を確保すること」が、信徒、牧師、そして、教会にとっても益となります。一方、後者は、「当人に自己吟味」してもらうこと、逆に「牧師夫人以外の経路を定めることで抑制」するのが、教会の益につながるように思います。
 一番残念なことは、ベテラン信徒や役員が、後者であることです。人の肉性の強さ、頑なさを思います。真面目な牧師は、自分の牧会や教育力思い、無力感を覚えるのかもしれません。私自身は、二つを識別し、前者を活かし、後者を抑制するが大切で、そのための「経路確立」「呼びかけ」「教育」などが、具体的方法かなと考えています。
〈新しい教会文化の形成〉
 日本の教会における牧師と信徒の関係には、日本的なメンタリティー、儒教的価値観、一般社会での良識などが、極めて強く影響しているように感じます。ただ、今後は、一般社会の変化に連れて、教会の文化も変化するでしょう。本当は、外部からの影響でななく、聖書的価値観によって、内側から変化することが好ましいでしょうが。
 牧師と信徒が次第にフラットな関係となり、信徒は牧師を尊重しつつも、素直な疑問や違和感を、気軽に牧師に伝えるようになればと期待しています。そうなれば、牧師の側も責められる怖れを抱き、自己防衛をすることなく、冷静に、安心して、その言葉を受け止めることができるのではないでしょうか。もちろん、そのためには、フラットな関係性と共に、信徒と牧師の双方に一定の成熟度が求められるでしょう。
 また、今後、牧師依存体質のマイナスが認識され、そこから脱却し、一定の相互牧会ができる教会へと向かって行くなら、この課題の克服は前進するでしょう。既にそのような体質変革を目指し、新たな理念で歩み出している実践も、見聞きするようになりました。
〈御礼と挨拶〉
 3回にわたって、女性信徒が男性牧師への不満を牧師夫人に伝える件を考えてみました。まずは、それがかなりのダメージを与えている現状を認識をと願います。二回目は、あるあるの事例を示し、考えていただきました。最終回には、解決のための具体案を提示しました。
 ご自身の立場で、また、教会の現状に応じて、今回のシリーズを活かしてくだされば、感謝なことです。