牧師、牧師夫人、牧師交代

牧師、牧師夫人、牧師交代

「牧師夫人って、お寺のおくりさんじゃないよね?」

仏教の僧侶の妻は、「おくりさん」
「おしょうさん」に対して「おくりさん」
僧侶である夫を支え、お寺の雑多な働きをする
しかも、無給で、さらに、それが当たり前
檀家によれば、それがおくりさんのあるべき姿
男性牧師の妻は、牧師夫人
「牧師先生」に対して「牧師夫人」
牧師である夫を支え、教会の雑多な働きをする
しかも、無給で、さらに、それが当たり前
教会員によれば、それが牧師夫人のあるべき姿
どうして、ここまで似ているのか?
聖書には、牧師夫人は登場しない
だからこそ、当人の召しや適正、
神学教育の有無によって
多様な在り方があってよいのでは?
どうだろう、「おくりさん」のイメージを
勝手に抱き、教会内に持ち込んで、
牧師夫人に要求するのはいかがなものか?
これは平行移動か?
仏教文化からキリスト教会文化への
そして、思う
「それって仏教入ってません?」
「牧師夫人っておくりさんじゃないよね?」