牧師、牧師夫人、牧師交代

牧師、牧師夫人、牧師交代

「牧師夫人が離婚状を書く時③」

 半分は自分のことを棚に上げて書くのですが、聖書の基準を失念し、妻をないがしろにして、神様からの使命に没頭することを献身的と考え、それを日常的姿勢とするのは、どうかと思います。
 
 「自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。」(Ⅰテモ5:8)との御言葉に問われてしまうのでは?常々思うのですが、あくまで恒常的なあり方として、自分と家族のケアを放棄して、使命や他者のために仕えることは、聖書が示す献身スタイルではないでしょう。
 妻という人格と真摯に向き合うのは、多くの男性にはキツイことでしょうし、責任ある使命に生きながら、妻を愛し、関心を持ち、愛を示すことは、大変な苦労を伴うことでしょう。そして、できれば避けたいことなのかもしれません。しかし、それをしなければ、結婚についての聖書の言葉に生きていることになりません。もしかすると「信仰を捨てている状態」や「不信者より悪い状態」に準ずる状態に陥っているのでは?
 夫に離婚状を突きつける牧師夫人は「こうでもしなければ、目を覚ませない状態に陥っている」と判断したでしょう。結婚の目的は共通使命の遂行だけではありません。愛の交わりの方が結婚の本質でありましょう。
 夫が使命を最優先とし、妻を省みないなら、牧師夫人は何のために結婚したのか分かりません。いいえ、結婚自体が実質上の破綻状態です。そうなれば、出さないでしまっておく離婚状を書くことも、それを本気で書こうとする気持ちも、ある意味、当然なのでしょう。
 「牧師夫人の皆さん、離婚状を書きましょう」とはお勧めしません。しかし、そこまでしないと目を覚まさないのは、ある年代以上の男性の一般的傾向であり、男性牧師も例外ではないことだけは、事実と言えそうです。離婚状を最終兵器として想定はしても、あくまで使用前にすべき努力だけは、していただければと願います。
 また、男性牧師たる者、聖なる使命を愛の怠惰の言い訳にすることなく、夫として聖書の御言葉に生きる者であるようお勧めします。くれぐれも、妻をないがしろにした挙句に離婚状を見せられることのない伝道者生涯を全うしたいものです。
 実は過去のブログ記事を三回に分けて投稿したのには、理由があります。それは、少し前に一人の男性牧師から、夫婦の危機を脱するのに役立ったとのお知らせをいただいたから。今回の投稿が、同じようにどなたかのお役に立てれば、感謝なことです。