牧師、牧師夫人、牧師交代

牧師、牧師夫人、牧師交代

「牧師夫人が離婚状を書く時②」

 牧師夫人は教会の人間関係の中にあって難しい立場になりがち。聖書には牧師の妻についての直接的記述はありません。そのために、信徒は自分の個人経験や理想から自分なりの牧師夫人像を抱きます。時には「お寺のおくりさん」の教会版を押し付けることも。
 人によっては、それら多様で勝手な牧師夫人像と異なることで、批判や陰口。牧師夫人が、理不尽な批判対象となることもあれば、女性信徒のマイナス感情のゴミ箱なることも。なおかつ、信徒を躓かせぬよう、教会内では、夫婦円満を演じなくてはなりません。かくして、牧師夫人は多大なストレスを抱え、心情的にもかなり厳しい孤立状態になることも。
 そんな孤独な思いを抱える牧師夫人にとって、夫が自分より使命を大切にすることは、どんな結果をもたらすでしょう。「一人は孤独、二人はもっと孤独」となるのです。教会の交わりの中で疎外感を覚えている牧師夫人は、教会組織の側にばかり立つ夫によって、天涯孤独状態となります。
 信徒からの無理解に苦悩する牧師夫人は、理解努力をしない夫によって、地獄に叩き落される気分にもなります。そこまで追い詰められた妻の心情や抑圧状態を、男性牧師は理解できないことは、よくあるようです。
 夫である牧師は、牧師夫人にとっての最後の砦。妻に対しての夫のあり方が、大逆転ホームランになることもあれば、サヨナラホームラン負けとなることも。
 男性牧師が使命に没頭する中、妻をないがしろにしやすいのは、恥ずかしながら私も同じ。なかなか克服し切れないものです。私自身は、妻より使命に向き合い没頭することを、神様の願う献身姿勢と思っていないので、何とかなっているのでしょう。聖書の基準を知っているから、自分が外れたら気がつくし、立ち返るところを知っているから、妻や他者に指摘されて、立ち返ってこれただけのこと。
 教会の使命を最優先し、他者の声を軽んじていたら、私も妻に離婚状を突き付けられていたことでしょう。自分のことも顧みながら、明日はまとめというか結論となります。