牧師、牧師夫人、牧師交代

牧師、牧師夫人、牧師交代

「兼業牧師について考える①~パウロもそうだったから・・・」

〈私的視点からの現状観察〉
 今日からのシリーズは、「兼好法師」ならぬ「兼業牧師」。多分、6,7回の連載になるでしょう。礼拝者数の減少と教会の少子高齢化による年金生活者の割合増加に伴う献金額の低下、泣き面にハチのような、コロナ禍。厳しかった教会財政は、ついに牧師の「専業状態」にも、影響を。近年は加速度的に、牧師の兼業化が進んでいることを実感。
 男性牧師がバイトや副業をしなくても、妻の側が働いているケースも多くなっています。私の感覚では、礼拝者数30人が平均的でしたが、今は、20人かも。そうなれば、牧師家庭を経済的に支えるのは困難。既婚者であれば、夫婦のどちらかが働くことに。礼拝者数が50人を超える教会でも、少子高齢化の影響でしょうか。そうしたケースは少なくありません。
〈レジェンド兼業牧師パウロ〉
 元祖兼業牧師?兼業牧師のモデル?と言えば、あのパウロ。使徒の働き18章3節は彼が、テント職人をして自分の生活を支えつつ働いていた事実を記しています。さらに20章の34,35節で、パウロ自身が、それは、自分の必要を満たし、教会内の弱者を助けるためであったこと、「受けるよりも与えるほうが幸いである」の実践であり、それを覚えさせるための証しであったことを語っています。
 パウロが兼業牧師であったのですから、兼業牧師自体が悪いわけでも、劣っているわけでもありません。もちろん、パウロは自主的兼業で、現代の多くは、経済的必要に迫られての兼業ですから、異なる面もあるでしょう。
 また、教会が開拓期を卒業して、経済的に自立すること、また、牧師も専業となることは、望ましい事でしょう。しかし、それは、ある状況下に限定される面もあるのではないでしょうか?
 以前は「牧師だけで食えるようになり一人前」という風潮もありました。でも、赴任した教会の状況次第の面もあり、それは乱暴だと思っていました。あくまで私見ですが、状況や必要や信仰に応じて、兼業牧師は一つの在り方だと思います。専業が一人前で、兼業が半人前ではないでしょう。
〈昔の目撃事例〉
 以前、超教派の働きの中で、先輩の牧師が運営委員を辞することになりました。平日にアルバイトをすることになり、平日の会議に出られなくなるというのが、その理由でした。30年近く前のことですが、そのことを恥ずかしそうにお話しされました。当時、兼業牧師は少数派でしたから、お気持ちはよくわかります。でも、その反面、「あの時、恥じることなく言ってほしかったなあ」とあの状況を思い出すたび、今も思います。