牧師、牧師夫人、牧師交代

牧師、牧師夫人、牧師交代

「兼業牧師について考える⑨~牧師数激減と教会数維持の狭間で」

〈展望としての教勢の二極化〉
 兼業化の背景にあるのは、牧師数の激減と教会数の維持。このまま、教会数が維持され、牧師が年齢を重ねて行けば、10年以内に「年金を受給されながら兼牧する70代の牧師」が一般的に。
 逆に、30代から50代の家族持ちの専業牧師は「絶滅危惧種」とまではいかなくても「希少価値を持つ牧師」に。その牧師が仕える教会は、上位10%未満の経済力のある教会に集中。
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〈教会の経済も二極化へ〉
 予想されることは、前者の教会は高齢牧師故に、若い魂が集うことは難しく、高齢化が進み、後者の教会は一定、次世代信徒を一定獲得していくこと。そうなれば、いよいよ教勢自体が、「教会の経済力にリンク」し、教会の二極化に拍車がかかることでしょう。
 さらには、教会の経済状況が就任する牧師を決めることに。兼業牧師はもちろんのこと、女性単身牧師、年金受給がある高齢牧師、母国からの支援のある外国人教職などが、経済的に厳しい教会に就任することが既定路線に。実際に「コスパ」を基準に、牧師が招聘、任命される傾向は既に現実となっています。これは、牧師と教会の「格付け」につながりかねず、悲しく思っています。
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〈残念な展望とそこにさえある希望〉
 牧師数の激減と教会数の維持の中、見えてくるのは、キリスト教会における教勢の二極化と教会間経済格差の拡大。その中で高齢化した教会に集う若年層が、若者が一定集う教会に移ることも、いよいよ一般的になっていくでしょう。それを「残念だが、信仰継承のためには仕方ない」とする流れも予想されます。
 そうなれば、経済的強者と弱者の間には「弱肉強食」に似た様相が。既に現在進行形ですが、教会は生き残りをかけてのサバイバル状態に。そして、都市部の「持つ教会」は、「経済力」も「専業牧師」も「次世代」も「未来」も持つことに。一方、「持たざる」多数派の教会は、この格差をどう受け止めるのでしょう。
 以上が、私なりの展望です。大切なことは、この現実から逃げず直視すること。向き合い、信仰を働かせていく覚悟。そのための信仰だろうと思うのです。人のピンチは神様のチャンスです。コロナ禍さえ、チャンスにつなげた教会、そうなる努力をしてきた教会は少なくありません。このピンチさえ、「必要な教会の変革」や「日本宣教の仕切り直し」の転機になるとの希望を私は密に抱いています。
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〈潜在的社会弱者としての牧師〉
 まるで「中小企業」のような教会と「零細企業」のような教会に二極化するとしたら牧師の経済事情も、二極化。そこで、改めて牧師の経済に目を向けてみましょう。私は牧師も信徒もすべての職業は神様からの召しであり、それに応答して神の業に参与しているのだと考えています。そこに牧師と信徒の違いはないと考えます。
 牧師を、信徒の同様の「キリスト者市民」「労働者」として見るなら、それは、労働組合もない、「未組織労働者」です。正当な権利を訴え実現する力を持ちません。多くは労働時間と専門性を考慮すれば、「自ら選んだ低賃金労働者」です。野球選手で言えば二軍や育成枠の選手で「個人事業主」のようなもの。雇用も安定しているわけではない「社会的弱者」でもあります。
 信仰リーダーである牧師が、実は、教会の中で顧みられる必要のある「潜在的弱者」なのかもしれません。こうした見解は、信仰的でないとお叱りを受けるのでしょうが、一度、こうした視点も取り入れて、牧師家族のことを考えてみてはどうでしょう?