親子関係、子育て
「青木さやかさんに見るクリスチャンホーム子弟の葛藤と希望」
婦人公論2020年3月24日号に掲載された両親を看取った青木さやかさんの記事が話題となっているようです。Yahooのヘッドラインで知ったのですが、その紹介記事を読んだだけで思ったのです。
「青年集会や学生キャンプで聞いてきた悲痛な声そのものだよなー」
「真摯な悔い改めをされた親御さんたちの気付きそのものだ」
「まさに、クリスチャンホームの親子あるあるだ」と。
この記事は青木さんの不幸な親子関係と、青木さんが経験した一定の克服を記しています。ご両親は教師だそうですが、やはり、職業の影響は大きいのでしょう。クリスチャンの中でも、教師、警察官、牧師、教会役員などに、同様の事例をよく見かけます。以下にこの記事が示す問題点を示し、クリスチャン両親にありがちな傾向を記します。
〈いくつもの共通点〉
・多忙で向き合ってくれない両親
教会奉仕や職業に忙しく向き合ってくれない両親。神と人に献身的に仕える両親の背中を見て学ぶよりも、孤独と愛情実感不足に。それは、思春期以降に、逸脱行為、過剰な反抗などの課題となって現れる。
・世間から評価されることを目標とした子育て
「神様に喜ばれる子育て」が実質上は「クリスチャンの交わり中で、評価される子育て」に逸脱。つまり、世間様同様。やがて思春期になった子どもが抱くのは親への不信感や偽善性、そして軽蔑。
・指導と評価の一辺倒
「聖書が示す基準に合致」するように子どもを指導し、「聖書が示す基準にどれだけ達しているか」で、子どもを評価。その結果、子どもは親からの人格的な愛を実感できない。これは「親子」でなく「上司と部下」の関係。人格でなく機能。愛の関係でなく力関係。
・一方的な価値観の押し付け
絶対真理であることが、さらに価値観の押し付けを正当化。しかも、上から一方的で、当然の疑問や反論などの応答を許さない。人格的な対話のない親子関係。
・選択の自由を与えず、親の意向に沿わせる
様々な選択、とりわけ進路などは、本人の選択に委ねず、親の意向どおりに操作。自由を正しく行使する訓練がされず、親を離れて自由になると逸脱行為に走る。親が先回りをするので、失敗経験から学ばない。挫折に弱く、問題解決能力に欠ける。場合によっては、自立不足で社会参加と結婚が困難に。
・認めることをせず、自己肯定感の低い子どもにする
大人のクリスチャンにもできない基準を子どもに要求し、達成できなければ、減点法で評価。一方で、神様を愛し、従い、励もうとする姿勢や思い自体を認め、評価しない。児童期までの親子関係が、子どもの自己肯定感を低くし、将来は、自分を大切にできず、幸せな人間関係をつくれない大人に。
・夫婦仲の悪さ
青木さんの両親は立派なことを語りながら、結婚が破たん。離婚に至らないまでも、子どもには立派なことを語りながら、向き合えない両親の夫婦関係。それは親への不信感、怒り、軽蔑に留まらず、神様、聖書、信仰への不信感につながりかねない。
・愛でなく模範解答だけが求められる
子どもは親が願う模範解答のみを要求され、その要求達成によって承認されることを求める。これは、「条件付きの愛」を子どもに経験させ、「あるがままでは愛されない」とのメッセージを植え付けることに。
・言葉だけで実体のない愛
親のこうしたありかたは、その親なりの「間違った愛」によるもの。罪人が聖書的価値転換をしなければ、子どもへの愛が「愛ならならざる愛」となるのは、必然。クリスチャンホームの場合は両親夫婦間にも、親子間にも、聖書が示し教会が語っている愛の実体はないと、子どもは評価。
・自らの問題についての無自覚
子どもが問題行動を起こしても、病的状態に陥っても、自分の非が自覚できない。信仰継承については、自らの妨害が自覚できないので、部活や教会に責任転嫁し、自己正当化。多くの場合、親自身が、人格的未熟さを持ち、自己客観視能力に欠ける。また、親自身の福音理解が未熟で、律法的、道徳主義的なことが多い。
〈クリスチャンの親について〉
以上、クリスチャンホームに時に見られる青木さんとの共通要素を列挙してみました。私は時々、親たちから、悔い改めの証をお聞きします。その内容は、すべて上記のいくつかに相当するものでした。
一方的な押し付けに嫌気がさして、教会を離れた子どもに、自分の非を認めて、我が子に謝罪し、和解した親御さんを何例も知っています。その実行には頭が下がる思いがします。「遅すぎる悔い改めはない」とつくづく実感します。子どもがすぐに神様に立ち返るわけではありません。しかし、和解を経て、そんな子どもの歩みも尊重し、親子関係をやり直している親御さんの姿には、大きな希望を感じます。
一方で、「わが子を生贄にしつつ、自己防衛に歩むクリスチャン夫婦」も数多く見てきました。子どもの信仰離脱や逸脱行動の責任の一端が自らにあることを認めようとせず、子どもが教会を離れ、親の意向と異なる歩みをすることを非難するばかり。決して、自らを省みないのです。いいえ、自分を省みないために、子どもを非難するのでしょう。そうした事例には、やはり、教師、牧師、役員、多忙なエリートサラリーマンが多いように感じています。
また、指導者や周囲が愛をもって指摘しても、自覚不能で、逆切れ、逆恨みもあるので、どうしても放置されがち。では、家族カウンセリングを受けるかと言えば、問題の自覚がないか、向き合いたくないので、拒否。御言葉も愛もカウンセリングも通じないので、解決困難となり「祈るしかない」という結論に。
〈クリスチャンホームの子どもについて〉
残酷なのは、こうした親に育てられながら、信仰に留まり、教会に集っている子どもたちです。やはり、青木さやかさん同様で、「正論」で苦しめられます。「親を愛しなさい」「赦しなさい」「自分があるがままで愛され、神様に赦されているのだから」と周囲から聖書的正論を聞かされ、愛せない自分に苦しみ、赦せない自分を責め続けます。
しかし、希望があります。青木さやかさんのこの記事が取り上げられ、高く評価されているのは、彼女が克服のために努力ができたこと、そして、一定の克服を得たことです。それをさせた具体な知恵のある言葉や提案がこの記事の最後の方に記されています。
私自身も、こうした知恵ある言葉や具体的な提案で、「親を愛せず苦しむクリスチャン子弟」「親を赦せず自分を責め続けるクリスチャンホームの子どもたち」を支援できたらと願いました。聖書的正論でなく、こうした愛に満ちた知恵や提案に希望を見る思いがしました。クリスチャンであるなしに関係なく、残念な親子関係に苦しむ方々の一助となることでしょう。ぜひ、ご一読ください。
該当記事は以下のURLから。
https://fujinkoron.jp/articles/-/1738
