教会形成、教会教育

教会形成、教会教育

「アメリカにはクローザー牧師がいるんだって①」

〈クローザー牧師って?〉
 最近、知人牧師から聞いて驚いたのは、アメリカにおける「クローザー牧師」の存在。これは、正式名称ではなく、私なりの勝手な命名。野球のクローザーは勝利で終わるために投げますが、クローザー牧師は、必ずしも勝利ためではないようです。
 クローザー牧師とは、教会を閉じるための牧師。いわば「閉会担当専門牧師」。最後の一人が礼拝していても、その教会と礼拝者に仕え、よいかたちで教会を閉じる働きをする牧師のようです。そのようにアメリカでは、多くの教会が閉会しつつあり、そのための「専門の牧師」がいるのだとか。
〈日本ではどうか?〉
 アメリカでは、教会数の減少に対して、牧師の数の減少が緩やかなのでしょう。それなら、有志の牧師や引退牧師がその役割を担うことが可能です。しかし、日本の場合は、教会存続を優先し、閉会や併合を極力避けようとする傾向が強いです。その一方で、牧師数が、教会数の半数となる現実が目の前に待ち受けています。教会数の減少より牧師数の減少の方が、進んでいる現状があります。
 本来なら、クローザー牧師を担うのに適した引退牧師たちも、日本では、経済的に厳しい教会の存続を担います。ですから、通常の牧会をしながら、他教会の閉会を担う「閉会担当牧師」はいらっしゃるようですが、「閉会専門牧師」は、困難でしょう。
〈閉会=敗戦なのか?〉
 今回、問いかけたいことがあります。では、クローザー牧師の務めは、「敗戦処理」なのでしょうか。閉会は、心情的には、寂しく、残念なことでしょうが、それを「敗戦」と解釈するのは、必ずしも正解でないように思います。
 「最後まで戦った末のゲームセット」と理解してもよいでしょう。教会が置かれた時代と社会においての「神様からの使命を終えた」との受け止めも大切だろうと考えるのです。また、教会の存続自体が目的とされ、そのための労苦を強いられている方々を拝見すると、閉会は「勇気ある撤退」「信仰的な愛による判断」「未来志向での苦渋の決断」とも思えます。
〈固定観念に縛られず〉
 そうです。「閉会=敗戦」との固定観念や決めつけは、違うだろうと感じています。教会の閉会について、「間違った敗北感」や「個人心情としての挫折感」、「御心とは限らない罪悪感」を抱いてはならないでしょう。
 ですから、アメリカのキリスト教会における「クローザー牧師」の務めは、必ずしも「敗戦処理」ではないだろうと想像するのです。むしろ、敗北感を抱かせず、未来志向での閉会を導いているのでは?とも推測しています。
 「クローザー牧師」の存在に、日本のキリスト教会は何を思い、何を教えられるのでしょう。