教会形成、教会教育

教会形成、教会教育

「前例踏襲から、新たな前例の形成へ②~ハムステーキの話」

〈ハムステーキの話〉
以前こんな話を聞いたことがある
昔、宣教師夫人が教会でハムステーキを焼いていた
ハムの両端を切り落として、オーブンに入れていた
やがて、宣教師夫妻は本国へと帰国
数十年後に、宣教師夫妻が教会を訪問
昔からの教会員は大喜びでハムステーキを焼いた
ハムの両端を切り落として、オーブンに入れて
宣教師夫人は尋ねた
「なぜ、ハムの両端を切り落としたの?」
教会員たちは答えた
「先生に教えていただいた通り焼いたのですが」
宣教師夫人は笑って言った
「昔は、オーブンが小さかったのよ。
だから、両端を切り落としていただけなのに」
教会員たちは、知らなかった
ハムの両端を切り落としていた意味を
だから、継承し続けていたのだ
正しいハムステーキの焼き方と信じて
〈礼拝についての問い〉
「死んだ前例の踏襲」とは、
礼拝さえも例外ではない
そこで、礼拝について問われる
私たちは、対応しているだろうか?
オーブンの大きさが変化したことに
私たちのささげている礼拝は
神との愛による人格的交わりが目的か?
宣教師が伝えたことの保存が目的か?
真実な礼拝を神様が喜ばれることが目的か?
変らないことによる安心の獲得が目的か?
私たちのささげている礼拝は、
両端を切り落としたハムのようなのか?
それとも、丸ごと焼いたハムステーキか?
〈何が問題なのか?〉
意味を知っていたら、意味を継承するために
礼拝についての変更や改革もありえるだろう
意味を知らないから、形だけを継承する
小さな変更にさえ過剰な感情的反発が起こる
何十年ぶりかで、開拓した日本の教会を訪ねる宣教師
開拓当時と全く同じ形式の礼拝が継承されていて驚くことも
本国では、何十年かで、かなり変化しているのに
教会によっては、礼拝がガラパゴス化していることも
誤解しないで欲しい
礼拝の改善を実行しないことが問題なのではない
礼拝の全体と諸要素の意味を知らないことが問題
意味を知らないが故に、形だけを継承していることが問題
形を継承しているから、本質を継承していると考えることが問題
形だけを継承して、本質と目的が失われていたら問題
その結果、教会が、「礼拝共同体」ではなくなり、
「伝統文化保存会」となっているなら、それが問題なのだ