「ショートメッセージ」
「居場所なき者のためのクリスマス」
今日の午前は、所属教会主催のゴスペル・クワイヤーに向けて短くメッセージ。クリスマス時期にブラックゴスペルを歌う方々にお取次ぎする定番のメッセージ。また、この時期に、毎年、フェイスブックにもアップするメッセージ。今年も掲載します。未読の方、とりわけブラックゴスペル関係者で未読の方は、ぜひともご一読を。
「居場所なき者のためのクリスマス」
俳優のロバート・デ・ニーロをご存知でしょうか?徹底した役作りで知られるデ・ニーロは、役作りのためホームレス姿となり、路上生活やホームレス支援施設での生活を実体験します。夜になり、そのままの姿で、宿泊先のホテルに入ろうとしました。当然のことでしょうが、ホテルからは宿泊拒否をされます。しかし、この話、オチがあるのです。実はそのホテルのオーナーはデ・ニーロ、その人だったのです。
自らがオーナーを務めるホテルからの宿泊拒否。同じような出来事が2000年前にも起こりました。胎児であった救い主は、すべての宿屋から宿泊拒否を受けたのです。宿屋のオーナーどころか、全被造物のオーナー、創造主であったにもかかわらずです。
ルカの福音書2章の6節と7節にはこう書かれています。お読みします。「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を生んだ。それで、布にくるんで、飼い葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」
ある本(藤井創著「世紀末のアメリカとキリスト教」)で読んだのですが、アメリカの白人教会では、この聖書箇所から、こんな説教がなされます。「イエス様は救い主としてお生まれになったのに、誰からも受け入れられず、家畜小屋でお生まれになった。だから、今、私たちはイエス様を救い主として受け入れましょう。」
ところが一方、黒人教会でのメッセージはこのようなものだそうです。「イエス様は救い主として来られたのに、誰からも受け入れられなかった。イエス様は受け入れられない者の悲しみや痛みを分かって下さるのです。そうだ、イエス様は私たちの痛みと苦しみを分かって下さる。それは何とありがたいことだろう。」
私はこの書物を読んで、悔い改めました。私は、誰からも受け入れられぬ者の苦しみに立つことなしに聖書を読んでいたからです。イエス様ご自身、拒絶され、居場所なき者として生きて、福音を伝えられたのに、自分にはそうした視点も立ち位置もなかったと気がついたからです。
クリスマスを理解するキーワードの一つ、それは「居場所がない」という言葉ではないかと私は思います。受け入れられず、拒絶される者の痛みと悲しみ、それがクリスマスを解き明かす一つの鍵だと思うのです。
イエス様は誕生の時から、宿泊拒否をされ、家畜同然の生まれ方をしました。その後は、父を失い貧しい母子家庭で苦労をされます。公に宣教を開始されると、家族は、気が狂ったのだと考え連れ戻しに来ました。また、寝食を共にしてきた弟子たちにも裏切られ、最後の最後にはイエス様を救い主として大歓迎したはずの群衆に裏切られ、十字架に架けられました。
結局、イエス様はその誕生の瞬間から十字架の死に至るまで、どこにも居場所がありませんでした。ですから、イエス様は家族から理解されない苦しみ、あるいは最も親しいもの、心から信頼し愛した相手から裏切られる痛み、社会から拒絶される悲しみを分かってくださるのです。体験者として100パーセントご理解くださるのです。そして、私たちの居場所となってくださるのです。
現代社会は人間が人格でなく、機能や役割として評価されて今います。「居場所がない」それは言い換えれば、あるがままの自分で受け入れてもらえる場所がないということでしょう。
求められる機能や期待される役割を果たさなくても、一人格として自分が安心していられる場所がないということでしょう。それは、私たちの多くが、大なり小なり実感している「居場所のなさ」ではないでしょうか?
30年ほど前でしょう。藤井フミヤさんがいたチェッカーズが歌った「ギザギザハートの子守り歌」というヒット曲がありました。「小さいころから悪ガキで、15で不良と呼ばれたよ。ナイフみたいに尖っては、触るものみな傷つけた」という歌詞で始まります。そしてサビの歌詞は、「わかってくれとは言わないがそんなにオレが悪いのか」と訴えます。多くの若者たちがこの歌詞に共感したのは当然のことでしょう。
この歌詞のように、誰も自分のことを理解し、受け止めてくれなかったら、心はギザギザハートになってしまいます。いじけて、ふて腐れて、「わかってくれとは言わないがそんなにオレが悪いのか」と人を傷つけるような生き方しかできなくなるものです。
しかし、同じような境遇や心情にあってもブラックゴスペルは違います。皆さんは、黒人聖歌として有名な「誰も知らない私の悩み」という歌を御存知でしょうか。Nobody knows the trouble I’ve seen but Jesus.「誰も私の悩みなど分かってくれない、でもイエス様だけは分かってくださる」と歌います。
一人の黒人ゴスペルシンガーが、あるコンサートでこの曲をアカペラで歌って下さいました。私は聞いていて泣いてしまいました。黒人奴隷たちの悲惨さを思い涙したのではありません。そのような苦しみを100パーセント理解して受け止めてくださるイエス様に感動したのです。そして、私自身の人生にもその方が伴っていてくださるその事実を覚えて泣けて泣けて仕方なかったのです。
自分のことを100%わかってくれて受け入れてくださる方がたった一人でいいから、おられたら、私たちの人生180度変るはずです。“But Jesus”なのです。Jesusがいるといないでは人生正反対なのです。イエス様がおられたら、人生何があってもいじけてふてくされて、ギザギザハートになって人を傷つけなくてもよくなるのです。
聖書は言います。「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」そして黒人教会ではこう語られます。「イエス様は救い主として来られたのに、誰からも受け入れられなかった。イエス様は私たちの痛みと苦しみを分かって下さる。それは何とありがたいことだろう。」
今日、お話申し上げたことが、クリスマスに向けて、ブラックゴスペルを歌う皆さんのお役立てば感謝です。
