「ショートメッセージ」
「カナの婚礼からの結婚式式辞」
今日は、知人牧師の結婚式で司式。新郎から伴侶紹介を依頼され数年、道が開かれぬ中のこと。豊田信行先生の著書の書評担当をきっかけに、新婦の所属教会とつながるようになり、二人の出会いのお手伝いをさせていただきました。
二人が最初にお会いしたその日から、司式をするなら式辞は「カナの婚礼から」と決めていました。「カナの婚礼で最初に神の栄光を目撃した僕」と、「この結婚において水を汲み、同じく最初の栄光を目撃した自分」を重ね合わせながら、20分弱、みことばを取りつぎました。
最後の4分程、新郎は涙を流し、ハンカチで流れる涙をぬぐっていました。新郎に涙を流させた主の恵みを語る私の目にも涙が溢れていました。新郎新婦以上に自分にとって生涯忘れることのない式辞となりそうです。主のご栄光が現わされること、皆さんの役に立つことを願いつつ、本日の式辞全文を以下に転載します。
〈結婚式式辞〉
今、お二人は神と人の前で誓約をされ、ここに結婚が成立しました。この祝福された結婚が、実り豊かなものとなることを願って、短く聖書からお勧めをさせていただきます。ヨハネの福音書2章1節から11節までをお読みします。(朗読)
イエス様はカナでの婚礼において水をぶどう酒に変えたのですが、11節が記すようにそれは最初の「しるし」でありご自身の栄光を現わすためのものでした。「しるし」とは、いわば矢印のようなものです。矢印の役目は、自分自身を見てもらうことではありません。矢印の指し示す方向を見てもらうこと、そして、指し示す場所に向かってもらうことです。
ヨハネの福音書には七つのしるしが記録されています。一つ目は、水がぶどう酒に変わるしるし、四つ目は、5000人の給食、五つ目はイエス様の水上歩行、七つ目が死者のよみがえりで、二つ目、三つ目,六つ目目は、病の癒しです。すべてが超自然的な現象です。
しかし、矢印同様、大切なのは、目を見張る超自然的な現象ではありません。大切なのはそれが指し示す事柄、すなわちイエス様が神の子、救い主であるということです。そして、矢印の方向に人が向かうように、しるしの目撃者がイエス様に向かい、信じること、それが、しるしの目的です。
今日はイエス様の最初のしるしを記すこのみことばを、三つの面で、お取次ぎします。2000年前のカナの婚礼での出来事と「今、この時、この結婚」を重ね合わせながら、耳を傾けていただければ、幸いです。
〈本論1〉
では、さっそく一つ目です。一つ目は、このしるしは「どこで、示されたか?」ということです。しるしが示された場所、場面です。それは意外にも、神様を礼拝する会堂の中でも、人々に福音を延べ伝える宣教の場でもありませんでした。最初のしるしが示されたのは、結婚生活のスタートの場、ぶどう酒がなくなるといういかにも、人間的な営みの場での人間的な失敗の場、今日で言えば人為的ミスの場面でした。
第一のしるしが結婚生活のスタートで示され、それに続いて二つ目から七つ目までのしるしが、現わされました。まず、神様は、結婚生活の初めに、密かに栄光を現わされ、その後、周囲の者が目撃する形で、あるいは公の場で、ご栄光を現わされました。
このことは、現在も同じではないでしょうか?まず、結婚生活を通して神様の栄光が現わされ、そこを出発点として、人々の間で公の場で、神様の栄光が現れていること。それこそ、神様の御心にかなった順番ではないでしょうか?
もう20年以上前のことです。戦後日本を代表する伝道者の一人、本田弘慈先生が、30代前半の伝道者夫妻であった、私たちにアドバイスをしてくださいました。先生はこうおっしゃいました。「本田弘慈がなー、こんなこと言うのは、信じられんかも知れんけどなー、伝道者は夫婦仲良く生涯を送るのが一番。教会なんぞ、大きゅうならんでもええ!」これは誇張表現かもしれませんが、私の伝道者生涯における指針の一つとなりました。
私自身も、本田先生の足元にも及びませんが、多くの牧師家庭に触れ、時に相談を受けてきた者として同じアドバイスを送ります。結婚は手段ではありません。伝道・牧会、教会形成など使命のための結婚ではありません。結婚自体、夫婦の交わりそれ自身が目的であり、神様の栄光を豊かに現わすものです。どうか、同労者である前に、夫婦であってほしいのです。
まずお二人が、結婚生活の中、真実に愛し合う関係を通じて神の栄光を現わしていただきたいのです。まず、第一のしるしです。そこから、二つ目の以降のしるしが示されていくことでしょう。働きのための結婚ではありません。結婚を通して現わされる神様の栄光に続いて、働きの結実があるのです。
結婚生活の中、人知れぬところで、神の栄光が現わされるなら、その後、お二人を通して、様々な意味において病める方々が癒され、回復していくことでしょう。二人の小さなしかし、真実なささげものが多くの人々を豊かに満たすでしょう。水の上を歩くような、神様の業としか思えないような歩みを、これから、お二人はしてゆかれることでしょう。そして、お二人を通じて、霊的、人格的、社会的に死んだような方々が、よみがえり豊かないのちに生かされていくことでしょう。
聖書は言います。「イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い」。最初のしるしが、示された場所、それは結婚生活の始まりの場面でした。お二人には、まず、結婚生活の中で神様の栄光を現わされますようお勧めします。また、教会員の皆様には、そのことを覚えていただき、どうか暖かな理解をもって、夫婦の時間を十分与えていただければ願います。
〈本論2〉
続いて二つ目です。二つ目は「このしるしは何を意味するのか?」ということです。水がぶどう酒に変えられたことは、何を意味するのでしょう。6節によれば、ユダヤ人のしきたりによって、置かれていた水がめの数は六つでした。不完全を示す6という数字は、「キリスト無き律法の不完全さ」を象徴していると言われます。それに対して水をぶどう酒に変えたことは、「キリストにあって福音に生きる尽きることのない豊かな喜び」を意味すると考えられます。
当時の婚礼の席では最初によいぶどう酒を出し、味覚が鈍った頃に悪いぶどう酒を提供するのが、恒例であったようです。キリストなき結婚は、時にそのようなものです。最初は芳醇な高級ぶどう酒のような豊かな喜びを味わうのですが、後になるほど、水っぽくなったり、苦みが増したりするお話をよく耳にします。
ある方が言いました。「一日喜んでいたかったら、散髪に行きなさい。一週間喜んでいたかったら、旅行に行きなさい。一カ月喜んでいたかったら、新しく車を買いなさい。一年喜んでいたかったら新しく家を建てなさい。三年間喜んでいたかったら結婚しなさい。そして、一生喜んでいたかったらイエス・キリストを信じなさい」
イエス・キリストぬきの喜びは、多くの場合賞味期限付きです。やがて色あせ、はがれ落ちてしまうものです。しかし、イエス・キリストを迎えた夫婦の真実な交わりにおいて、喜びは尽きることがありません。いいえ、イエスキリストを迎えた夫婦が向かい合い、聖書の教えに従って、真実に愛し合うなら、その喜びは、さらに豊かなものとされていくでしょう。まさに、後になるほど、よいぶどう酒のようになるのです。
宴会の世話役は花婿を呼んで言いました。「あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」水がぶどう酒に変えられたこと、それは、キリストにある尽きることなき喜びを意味します。お二人が、水をぶどう酒に変えてくださるキリストを信じ従い、豊かな喜びの中を歩み続けますよう切に願います。
〈本論3〉
最後に三つ目です。三つ目は、「このしるしは、誰に対して示されたか?」ということです。婚礼に招かれた客たちは、もちろんのこと、新郎新婦も、弟子たちさえも、ある時点までは、このしるしを知らなかったようです。聖書は「しかし、水を汲んだ手伝いの者たちは知っていた。」と記しています。そうです。水を汲む僕となることなしには、経験することのない恵みを聖書は記しています。
実は、私自身もその恵みに預かった一人です。私はこの結婚において、水を汲む僕の働きをさせていただきました。お二人が最初にお会いしたのは、一昨年、2017年の10月14日午後三時頃、名古屋駅近くでした。その少し前、2時40分ごろのことです。新婦とJR名古屋駅の中央改札で待ち合わせていたのですが、その前に駅構内のお手洗いに行きました。
用を足して、手を洗い終わり前を見ると、鏡の前にあるものを発見しました。皆さん、何だと思いますか。私はそれを見て、「神様、これ本当ですか?こんなことがあるのですか?」と驚くやら、笑うやらでした。私の目の前にあったもの、それは、「結婚指輪」でした。
最初は神様のユーモアと受け止めていましたが、やがて、神様への畏れが生じました。「これは、しるしに違いない」と思ったからです。「この出会いは結婚に至る、いや、これは普通の出会いではない」と思い始めたからです。改札口の駅員さんに指輪を届ける頃には、私の心は厳粛な思いで満たされていました。
このことは、水を汲む僕に示されたしるしとして、今日まで心に秘めておりました。今も、あの指輪は、神様からのしるしであった、神様は二人の最初の出会いの時からしるしをもって、ご栄光を現されたのだと私は、信じています。
聖書は言います。「しかし、水を汲んだ手伝いの者たちは知っていた。」最初のしるしは水を汲む僕に示されました。伝道者夫妻は水を汲む僕です。イエス様が栄光を現わすために人知れず仕える僕です。
しかし、それは惨めな自己犠牲の連続ではありません。人知れず、神様の栄光を見る恵みにあずかり続ける喜びの連続でもあります。私は、水を汲む僕として、この結婚において、最初のしるしを経験した者として、そのことをお二人にお伝えします。
〈結論〉
イエス様が為された最初のしるしは、どこで示され、何を意味し、誰に示されたでしょうか。
この三つのことを胸に結婚生活を始められますようお勧めします。まず結婚生活の中で神様のご栄光を現わされますように。キリストにある尽きぬ豊かな喜びの中を歩まれますように。水を汲む僕としての恵みにあずかり続ける結婚生活でありますように・・・。そのように願います。
2000年前、婚礼の場において、水をぶどう酒に変えられたキリストが、今、ここにスタートした結婚を、豊かに、豊かに、祝福されることを信じます。
