説教と説教者
説教と説教者
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- 「標準的説教観って、最近の普及品だったの?」
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- ひとり説教塾②~神様についての想像の許容範囲
- ひとり説教塾③~預言者的説教の功罪
- ひとり説教塾④~説教の終わり方
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- 「礼拝説教中が眠い!①ショートコント」
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- 「おはようを言わない牧師たち②」
- 「おはようを言わない牧師たち③」
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「説教者は黒子、会衆がパフォーマー ~キェルケゴールの言葉から」
本日、友人牧師がFB投稿で次の言葉を紹介してくださった。これには、教えられた。
「会衆の中には、説教者は舞台の上の俳優で、彼らは説教者を批判したり賞賛したいする批評家だと思っている者たちがいる。彼らが理解していないことは、彼らこそが舞台の上の俳優たちであり、説教者は単に舞台の袖で、彼らが忘れたセリフを教えてくれる黒子だということである。」セーレン・キェルケゴール
(2023年2月27日Sermoncentral 掲載記事より)
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高度産業化社会、消費社会では、
礼拝説教さえ、パフォーマンス視される
牧師がパフォーマーで、講壇は舞台
会衆は、そのパフォーマンスを鑑賞し
満足なら賞賛、不満なら文句・非難
説教の目的は精神的サービスとされ、
その目的に達成度に応じて、評価される
その代表は「恵まれた」「恵まれなかった」
要は、自分中心の「顧客満足基準」による評価
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そこで、言いたい
現代日本のキリスト者よ!
今こそ、キェルケゴールの言葉を聞け!
会衆こそが、「パフォーマー」なのだ
日曜と次の日曜の間こそが「公演期間」
家庭、職場、学校、地域こそが「舞台」
牧師のパフォーマンスを評価するなら
自身のパフォーマンスも評価すべし
礼拝後の「散らされた教会として歩み」
それこそ、教会としての大切なパフォーマンス
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説教の目的は、会衆への精神的サービスではない
説教の目的は、会衆が御言葉に生きるため
聞いて恵まれるためでなく、聞いたように歩むため
会衆が御言葉に生きて、キリストを証しするため
だから、説教者は、パフォーマーではなく「黒子」
平日を御言葉に歩もうとする会衆の補助役
日常に埋没し、御言葉を忘れた者に思い出させる
辛く苦しい時に、神様の語り掛けを想起させるのだ
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説教者と会衆の関係をどう考えるのか?
「パフォーマー」とそれを鑑賞する「観客」?
「サービス業者」とその恩恵を受ける「顧客」?
給油のための「ガソリンスタンド」と「自家用車」?
もし、そう考えているなら、ぜひ、再考を
会衆の側だけでなく、説教者もご検討を
説教者ではなく、会衆こそが「パフォーマー」
説教者は「パフォーマー」でなく「黒子」
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礼拝説教が本来の目的をもって受け取られず、
歪められた説教者と会衆の関係を生み出しがちな
現代日本のキリスト教会にとって、
この言葉は、必要かつ有益な語り掛けなのでは?