牧師、牧師夫人、牧師交代

牧師、牧師夫人、牧師交代

「男性牧師への不満・要求を 牧師夫人に伝える女性信徒①」

 男性牧師への不満や要求がある時に、女性信徒たちは、よく、牧師夫人にそれを伝えます。牧師当人でもなく、教会運営に責任を持つ役員でなく、なぜか牧師夫人に伝えます。これは、ある意味、不自然、不可解な現象。今回と次回は、その理由として、私なりに思いついたものを記してみます。
(1) 愛の配慮
 これは、愛と善意によるもの。牧師に直接伝えて、傷つけ苦しめないようにと、愛の配慮をもって、ワンクッションを置くのです。牧師夫人を仲介者とします。まさに「愛をもって真理を語る」(エペソ4:15)です。この場合は、動機が「愛」なので、それを伝える言葉も表情も語気も、優しく建徳的です。不満と言うより前向きな改善と期待として伝達されます。
 このタイプの賢明な女性は、感謝や応答も、牧師夫人に伝えます。「今日の先生のメッセージ恵まれました」「悔い改めましたとお伝えください」など、牧師夫人を介しての真摯な応答は、牧師にとって励まし、力となります。ここまではプラスのもの、これ以下はマイナス作用を持つ理由。
(2)権威と経緯の欠如
 男性牧師は、「神様に立てられた権威」「原則として従うべき指導者」と思っているので、正当な不満や要求さえ、伝えることが神への反逆のように思えるのでしょう。一方で、牧師夫人には、そうした権威はなく、敬意もありません。そうなれば、男性牧師に言いづらいことは、すべて、牧師夫人に伝えるという「経路」が確立されてしまいます。
(3)安全が確保されているから
 男性牧師に直接伝えればよいのですが、そこには反論、ご指導、弁明、逆切れなどを受けかねないリスクが。信徒の目に牧師が「強者」と映る場合は、このリスクは避けたいです。そこで、「無抵抗な弱者」である牧師夫人に、要求と不満が向かいます。
(4)性役割の刷り込み
 年配女性の中には、男性に物申すここと自体に、強い抵抗感や罪悪感を持つ方も。また、女性一般も、他者指向的で、男性に嫌われることを過剰に怖れ、男性の意向に沿うことを善とする根深い刷り込みがあります。
 日本社会は男性社会で、キリスト教会も、時にそれを御言葉でダメ押ししてきた面もあります。そのために、牧師夫人が、本来は標的となるはずの男性牧師の身代わりに。
(5)自己肯定感の低さ
 一般的にも日本女性の自己肯定感の低さは、驚くほどです。多分9割のクリスチャン女性は、神様にあるがままで愛されていると分かっていても、自己肯定感は低いです。自己肯定感の低さは自分の正直な思いを他者に、伝えることを困難にします。「そう思う自分が悪いのかも」「自分の要求は間違っているのでは?」「伝える価値などがない」と思えてしまうからです。
 そのことは、とりわけ男性に伝える際に起こります。女性同士ながら、経験的に、気持ちが受け止められ、理解共感してもらえることが予想できるのですが、男性が相手だとそうではないからです。そこで、結果的に、気持ちを受け止めてもらえ、理解共感の可能性のある牧師夫人に伝えることになるのでしょう。
 まずは、五つほど、私なりに思いついた代表的な理由を記してきました。本来男性牧師に向かい、届けられるはずの言葉が、牧師夫人に向けられてしまう理由が、納得いただけたでしょうか。少しでも、牧師夫人の身になっての理解が深まれば、うれしいです。
 明日はいくつか、根深く、牧師夫人にダメージを与える理由を記してみます。