牧師、牧師夫人、牧師交代

牧師、牧師夫人、牧師交代

「兼業牧師について考える⑤~牧師にパウロ求めず」

〈牧師夫妻の現状を想像〉
 兼業となった牧師が、役員や信徒から、専業時と同等の働きをするよう要求することがあります。それが、御言葉と祈りとその周辺ならいいのですが、教会会計に、信徒宅の訪問、教会学校の奉仕、さらには、ネット配信、送迎、会堂やトイレ清掃までとなるとキツいです。
 最も、心配なのは、牧師夫人。既に、無給で教職者に準ずる働きをしている方も多いわけです。外で働き、家庭では、家事育児を中心的に担い、さらに無給で、教職者に準ずる働きが求められるとは!多くの女性クリスチャンが牧師夫人にだけはなりたくないと思うのは、必然でしょう。信徒の皆さんは、一度、愛をもって、牧師夫妻の現実と心情を想像してみてはどうでしょう?
〈牧師にパウロを求める信徒?〉
 私は、「パウロも兼業で、伝道牧会をしていたのだから」と兼業牧師にパウロのような働きを要求するのは間違いだと思っています。なぜなら、パウロは「キリスト教会の大谷翔平」ですから。知力、気力、体力の三刀流。その優越性は、神様が肉体の棘を与えなくてはならなったほど。すなわち「別格」なのです。
 また、パウロは独身です。家族を養う責任もそのための時間とお金も必要ありません。家族持ちの男性牧師に、「パウロのように」というのは、かなりの理不尽ではないでしょうか?
 普通のプロ野球選手に向かって大谷と同様の活躍を求めるのは酷でしょう。ましてや、牧師の「兼業であるが故の不十分さ」について、牧会伝道に専念できる環境を保証されていないという信徒としての課題を顧みずに、厳しい批判をするのは、どうかと思います。
〈私なりの危惧〉
 謙虚で真面目な牧師などは、それらに真剣に応答しようとして、極度のストレス状態や疲弊状態を続け、心身の病になりかねないと危惧します。というか、実際にそうなってしまい、働きを休んだり、退いたりする事例を見聞きします。「ただでさえ、牧師不足なのに、何てことを!」と怒りを覚えることも。
 また、思いやりや労りもなく、兼業牧師に過剰な要求をする信徒たちを見ていて、次世代はどう思うでしょうか?牧師や牧師夫人になりたいと思うでしょうか?とりわけ、牧師の子どもたちは、フルタイム献身を願うでしょうか?そうした親を見た子どもは信仰を継承しようと思うでしょうか?こうしたことは、次世代の救いやさらなる牧師不足など教会将来に深刻な影響を与えかねないと心配しています。
〈私なりのお願い〉
 ですから、お願いです。信徒は兼業牧師に兼業時代のパウロを求めないでください。その牧師の賜物と適性と知力、気力、体力を考慮していただきたいです。何よりまず、兼業牧師を愛し欲しいのです。兼業故の限界や葛藤や苦労や心情を、愛をもって想像していただきたいのです。
 そして、牧師夫妻を「機能」としてではなく、同じ「人格」として見て欲しいのです。その上で、言うべきことがあれば、愛をもって真実を語って欲しいと切に願っています。