牧師、牧師夫人、牧師交代

牧師、牧師夫人、牧師交代

「信徒から牧師夫人への要求③~牧師夫人はバロメーター」

〈愛の成熟度を示すバロメーター〉
 時々、主にあって自分らしく歩んでいる牧師夫人に出会います。残念ながら、それはかなりの少数派。その教会は、大抵、信徒相互も愛し合い、男性牧師と信徒の関係も良好です。
 時に言われることでしょうが、牧師夫人は、「教会全体の成熟度のバロメーター」。牧師夫人が自然体でいられる牧師は愛において、交わりにおいて成熟しています。多くの教会でご奉仕の機会をいただき、現場に触れてきた者としてそのことを実感しています。そう、いい教会とは牧師夫人が自然体で歩んでいる教会。信徒が牧師夫人をあるがままで、愛し受け入れ、共に歩んでいる教会。
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〈牧師夫人の置かれた立場は?〉
 愛と甘えが混同され、愛する努力をせず、愛されることのみ求めるような信徒が多数派である未熟な群れにおいては、必然的に牧師夫人がその未熟さの犠牲者に。牧師夫人は、際限のない甘えの対象であり、感情のゴミ箱扱いをされかねません。一信徒よりも、尊重されず、立場も弱く、無抵抗な存在として、教会内で位置付けられます。
 「刑務所内での受刑者への待遇が、その国家の人権意識の成熟度を示す」と言われます。皮肉なことに、牧師夫人への待遇が、その教会の愛の成熟度を示すのだと私は感じています。なぜなら、既に記したように、牧師夫人は、教会内で受刑者同様、隔離され、自由を奪われているからです。愛の交わりから隔離され、自分らしさを奪われているからです。
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〈声も上げられぬ現実を覚えて〉
 一昨日の投稿に「いいね!」などの応答をくださったのは、興味深いことに、男性たちが半数で、いわゆる牧師夫人は全体の5%程度。「いいね!」「大切だね」を押したくても、それさえできない牧師夫人たちの思いを想像していただきたいです。
 最後にお勧めです。牧師夫人を愛し、愛をもってその心情と状況を想像、観察し、理解に務めましょう。牧師夫人がバロメーターであるなら、そのことは、牧師夫人を助けるだけでなく、教会全体を愛における成熟に向かわせるでしょう。
 そうです。あなたが願っている「愛に満ちた教会」の実現は、あなたが、牧師夫人を愛することから、始まるのかもしれません。