教会形成、教会教育

教会形成、教会教育

「虎は死して皮を、牧師は辞して役員を残す⑤~破壊的役員像」

〈教会オーナータイプ〉
 一番分かりやすいのは、「教会のオーナー」のような意識の役員です。キリストでなく自分が「教会のかしら」。教会を経済的に支えており、自分の意向にそって教会を歩ませようとし、牧師を「雇われ店長」のように考えている役員。
 このタイプは該当役員が教会を去らない限りは、継続的に実を結ぶことはできません。一時的に教会が成長しても、この役員が原因で分裂や離脱が起こります。しかし、該当役員は自分が原因との自覚がありません。そのために、牧師の責任となり、牧師交代が繰り返されることも。あるいは、牧師が忍耐し切れず、転任に。
 牧師は、オーナー役員の意向に沿えば、御心に反する判断を強いられます。良心的な牧師は、それに抵抗し、対立関係となり、牧師の立場は危うくなります。大抵は、愛し祈っても変わりません。正論で話し合っても通じません。最終的には、牧師か該当役員のどちらかが、教会を去るケースが、ほとんどのように観察します。
〈自分の快適さを最優先とする役員〉
 一般的に教会の役員は年長者や信仰歴の長い方になりがち。でも、成熟していないと「自分の快適さを最優先」します。具体的には、信仰のアイデンティティーに神様から、「これまでと同じことをすること」に置き換わっています。変化によって、教会生活にストレスを生じ心理的安定を失うことを嫌います。そして、「外的形式を守ることを善」とします。
 要は信仰歴が長く、役員に選出されても「自分のための信仰」なのです。他者より自分が大切な未熟さに留まっており、なおかつ自覚がないのです。人の救いや真実な礼拝や聖書的な教会形成より、「自分の心情的満たし」が優先なのです。そうした役員が教会にどのような影響を与えるかの代表的な類型を三つ記しましょう。
〈ありがちな三つの類型〉
 最も困難なケースは、「自分が救われた外国宣教師時代の教会の再現」を理想とする役員。過去の個人経験を現在の普遍的目標にすることの間違いが理解できないのです。まさに「自分の満足のための信仰」なのですが、自覚はありません。その結果、就任する日本人牧師は次から次へ短期間で交代となります。
 また、そうした役員は、若い人が教会に来て欲しいと言いながら、そのための変化はすべて拒否。「総論賛成各論反対」では、何も進みません。クリスチャンホームの子どもたちも、付き合い切れず、教会は少子高齢化の一途をたどることに。それなのに、その責任を牧師に問う場合も。
 さらに残念なのは、新しい牧師の就任後に、多くの方が救われ、若い方が集まるようになることを喜べないパターン。以前と異なる状況となり、自分の快適さが失われるからです。皮肉なことに、牧師が活躍し、実を結ぶ程、役員と牧師の関係が悪くなることも。そうした少数の役員が教会の実権を握っていると、牧師を退任に追い込みます。理不尽極まりないのですが、こうしたケースは決して珍しくありません。
〈明日は最終回〉
 二回にわたり、未熟な役員の類型を私なりに記してみました。そうした役員たちが、牧師交代を超えて継続的にもたらすマイナスも指摘してみました。次回は、結論のようなものを示して、最終回とします。