教会形成、教会教育

教会形成、教会教育

「虎は死して皮を、牧師は辞して役員を残す①~評価は退任後」

〈牧師の働きの評価は退任後に〉
今日から、新しいシリーズです。多分、4,5回になるでしょう。
 「牧師の評価はその退任後に明らかとなる」。牧師交代に際して、そんな言葉を何度か聞いてきました。幾多の事例を見ながら、本当にそうだと思います。牧師の働きの評価は、在任後には見えにくく、その牧師が「辞して残した実」によって評価されるべきでしょう。それは、子どもが親の手を離れた後に、さらには、子どもの子育てを見て、親の子育てが正しく評価できることと似ています。
 在任中の教勢拡大は、目に見えて分かりやすく、一番の評価基準とされがち。しかし、それが牧師個人の賜物に依存し、一時的である場合もあります。量的成長は必ずしも教会の成熟を意味しません。初期のコリント教会はその典型例であり、私たちへの反面教師でしょう。ですから、在任中の教勢拡大が、正しい評価基準かどうかはケースバイケースと考えるべきでしょう。
〈牧師は辞して何を残す?〉
 「虎は死して皮を残す」と言いますが、「牧師は辞して何を残す」のでしょう。その残したものが、その牧師の働きの評価基準だと私は考えています。
 ある牧師は立派な会堂を残します。これは、とてもありがたいです。しかし、多額の借金とセットで残すなら、次の世代に経済的圧迫を与え続けることも。新会堂建築に際して、少なくない信徒が教会離脱をすることも。会堂が立派になることは、必ずしも真実な礼拝がささげられることを意味しません。そう考えると、立派な会堂を残すことは、牧師の働きのプラス評価に直結するとは限りません。
〈確実にプラス評価となるもの〉
 では、何を残せば、牧師が退任後に間違いなくプラス評価材料となるでしょう。その代表の一つは「成熟した役員」ではないでしょうか?もちろん、「成熟した群れ」を残せたら、ベストでしょう。でも、聖書を読む限り、「成熟した群れ」を残した実例があるかどうかは怪しいでしょう。むしろ、「成熟に向かう群れ」を残すことでしょう。
 その目的達成のために、現実的なことは、「成熟した役員の育成」だと思うのです。「教会形成」「教会を建て上げる」と言うと、観念的になりがちです。もう一つ、とらえどころがありません。しかし、「成熟した役員の育成」と言えば、具体的で、実行が見えてきます。
〈どちらを残すべきか?〉
 どうでしょう?一人の牧師が辞していくとき、立派な会堂を残すのと、成熟した役員を残すのと、どちらが優れたことでしょう?神様はどちらを残すことを、転任、隠退していく牧師に願っておられるでしょう?後任牧師と教会の将来を担う次の世代にとっては、どちらがよりありがたい置き土産、遺産となるでしょう。
 続いて、成熟した役員の大切さ、その実例、その反対の事例、役員育成の指針などを記せたらと願っています。