教会形成、教会教育

教会形成、教会教育

「信仰は、お花畑じゃない、農園だ!」

 今日は、前二つの投稿対しての締め。「仕方ない帝国」については、「ごめんで済んだら警察いらん、仕方ないで済んだら信仰いらん」と言いたい。御子のいのちと引き換えにいただいた信仰を宝の持ち腐れにしてはならないだろう。
 
「~しないとわからない」が「~してもわからない」になってしまうのは、「神様が何とかしてくださる」という神様への信頼と引き換えに、神様が果たすよう願っている責任を放棄するから。神様に委ねるべきを自力で何とかしようとし、自分でなんとかすべきことを神様に丸投げにしてしまいがちな私たち。信仰を真逆で用いやすい私たち。
 
 というわけで、改めて、聖書が示している「信仰」を考えてみた。
信仰とは、人が何もしないでよいという「責任放棄」ではない。
信仰とは神が働くことへの信頼とそれに基づく「責任遂行」である。
信仰とは、現実から目を逸らすための「名目」ではない。
信仰とは、現実に向き合うために、御子と引き換えに与えらえた「恵み」である。
信仰とは、ありもしない一発逆転を夢見る「お花畑」ではない。
信仰とは、聖書に従って、労し、結実を得る「農園」である。
 
「信仰」を自己保身や怠惰の名目に利用しがちな私たち。
自覚があれば、悔い改めを。
自覚がなければ、悲劇的。
一度立ち止まって考えよう。
聖書が示す「信仰」を。