教会形成、教会教育

教会形成、教会教育

「仕方ない帝国か?神の国か?」

 朝日新聞・論説委員の高橋純子という方が「仕方ない帝国」というタイトルの本を書いている。内容は安倍政権批判らしいが、それとは関係なく日本は「仕方ない帝国」だと思う。国民の80%を占めた江戸時代の農民は、お上の絶大な権力と悲惨な抑圧搾取構造の下で「しかたない」と自分に言い聞かせて、現状を受け止め生きてきたらしい。アメリカによる他国統治の唯一の成功事例が日本だとされるのも、それと無関係ではないだろう。
 
 その「仕方ない体質」は今も続いているように思えてならない。そして、その体質は、日本のキリスト教会にも。
30年以上前から続いている「仕方ない」はこの三つ。
「少子化で宗教不信の時代だから、教会学校の衰退は仕方ない」
「部活があり、反抗期だから、中高生の教会離れは仕方ない」
「多忙社会で信徒も望まないから、信徒教育ができないのは仕方ない」
 
昨年から始まった「仕方ない」は以下の三つ。
「コロナだから、伝道できないのは仕方ない」
「コロナだから、献金減額も仕方ない」
「近い将来の財政破綻、教会統廃合も仕方ない」
 
 「仕方ない」とは、信仰が現実に負けたことを意味するのでは?
いいや、そもそも、信仰をもって、現実に向き合っていないことを意味するのでは?
教会が拡大するのは、「神の国」であって、「仕方ない帝国」ではない。
教会は、信仰によって「神の国」を拡大すべきであって、
不信仰によって「仕方ない帝国」に侵略、支配されてはならない。
 
立ち止まって省みよう。
私たちの思いと教会の霊的雰囲気は「仕方ない帝国化」していないかを。