恋愛と交際

「恋愛・結婚より親子関係の清算かもよ?④」

「実際は違うのに軽い女に見られる」
「遊んでいると誤解される」
「よく男性から声をかけられる」
「よくナンパされる」

 そんな相談を、クリスチャン女性から受けることがあります。昔は、「そんな誤解を受けないように自分の側できる努力をしましょう」とアドバイスをしていました。具体的には、男性の心理を理解して、無用な誤解をされるような服装やメイク、しぐさは避けて、「しっかりした女性」に本質面で成長して、それが、外にも現われるようになりましょうね。そんな、アドバイスをしていました。

 

 それでOKの女性も多いのでしょうが、一部、問題の本質がそうではないケースもあることを近年は学びました。何冊かの書物に、それが、父親の愛を実感できなかったことに由来するという見解があったからです。つまり、こうした現象は、「父性愛欠損→不幸恋愛」パターンの一つの現われだと言うのです。

 そうした相談者を思い浮かべると、確かに、一部には、父親からの愛を実感できなかった女性、父親に甘えた記憶のない女性、父親から暴力、あるいは、行き過ぎた体罰を受けて育った女性、中には、父親から性暴力を受けた女性もいます。いくつかの書物での見解によれば、そうした女性たちは、与えられなかった父性愛を求めて、比喩的な意味でのフェロモンやオーラを発するのだそうです。

 当人は男性を誘う意識などないのです。異性関係では真面目なつもりの女性です。しかし、心の奥底には、そうした思いがあるので、何らかの形で、それが表出されるのだとか。無意識のうちに男性を誘うような装いやメイク、しぐさや表情をしてしまい、そうした雰囲気をただよわせてしまうのだとか。それを感じて、軽い男性がアプローチするわけです。あるいは、そうした女性を直感的にあるいは経験的に見抜く悪質な男性の犠牲になるのです。

 こうした女性に好意を持つのは、やはり残念な男性たちになりがちです。真剣に相手を大切にしたり、結婚して二人で協力して人生を歩もうと願う健全で誠実な男性でないことが多いようです。ですから、好意を寄せられて、交際しても幸せな恋愛とはなりません。あくまで仮説として主張されている理論ですが、私の感覚と経験では、けっこう当たっていると思います。

 こうした不幸な女性として日本で一番有名なのは、作家で漫画家の内田春菊さんでしょう。作家としてのデビュー作であり、直木賞候補ともなった「ファザーファッカー」の冒頭は衝撃的です。内田さんは自分の最も不幸な経験を告白します。自分はよく「娼婦の顔をしている」と言われるが、そんな経験はない。しかし、考えてみたら、自分は、売春をしていた。宿のおかみは母で、唯一の客は父であったと。家庭にいて生きるためにはそうせざるを得なかったのでしょう。彼女は、悲惨な家庭環境に育ち、高校時代には義父からの性暴力に耐えかねて家出をして、後に優れた作家、漫画家となります。

 ある意味、成功者なのでしょうが、その恋愛と結婚を見るなら、失礼ながら、完全な破綻者といわざるを得ません。人の顔が与える印象は顔の作り以上に表情です。そして、その表情は、時にその人の深い内面の現われであることも。内田さんの責任ではないのですが、そうした顔だと言われるに至ったのには、父との関係が要因だったと推測されます。

 父性愛の欠損、父への甘えの欠如、父からの暴力などは、女性の恋愛、特に彼氏・伴侶選びに決定的な悪影響を及ぼすとの見解に、よく触れます。最初にあげた、当人は意識しないが誤解され、被害を受けるようなことも、時に、父親との関係に由来するようです。

 そう、誤解を受け、被害を受ける女性に責任はありません。彼女は父親の被害者だからです。責任のない娘が、罪の報いを受ける、それが、親の罪、独自の罪深さ、残酷さなのです。

 それでも、娘である女性は幸せになるために、自らの深い問題に向き合い、親との関係を清算していただきたいのです。そのために本日の記事が一助になれば幸いです。