恋愛と交際
「恋愛・結婚より親子関係の清算かもよ?①」
学生や青年のキャンプ、教会での集会では、学生、青年たちから、恋愛についての相談を受けることもしばしば。女性からの質問で、よくあるのが、こういうパターンです。
「私、恋愛体質で惚れっぽいんですどけ、これって、どうなんでしょうか?」
「うーん、もしかして、お父さんとの関係に問題ない?」
「・・・・・・・」(なみだ目で固まる)
「ごめんね、当たっちゃったかな?」
私の最初の問い掛けに、一瞬で涙目になったり、表情を失い固まる女性も少なくありません。
幸せな結婚ができないと自覚している。
恋愛体質である。惚れっぽい。
ダメンズウォーカーである。
悪い男、無責任な男性、人格欠損者に魅力を感じてしまう
自分を不幸にしそうな恋愛相手を選んでしまう。
これらは、多分、一つの問題にまとめられるだろうと思われます。父親との関係、両親夫婦の夫婦仲を尋ねると、90%以上の確率で、予想通りです。ズバリ言い当てられてか、単刀直入に問題の本質に触れられてか、深い感情が湧き出すようです。
ラジオ人生相談のパーソナリティーで、社会学者の加藤諦三氏はその著書の中で、ズバリこう記しています。「親子関係が清算されていないと、恋愛はうまくいかない・・・」
私は、創世記2:24の「父母を離れ、妻と結び合い」の言葉を根拠に結婚前の「自立」「親離れ」を繰り返し主張してきました。しかし、「親子関係の清算」という言葉に触れて、「このフレーズは使えると!」と思ったのです。
そうです。結婚は一定の自立と、心理的親離れが、必須条件で大前提です。しかし、恋愛は、多くの場合、そこまで到達する前からスタートしています。ですから、結婚に至る前に、しなくてもよい悲惨な恋愛を経験する女性は、クリスチャンやクリスチャンホーム育ちに、少なくありません。そして、不幸な親子関係に生きて、それが「精算済み」でないと、繰り返し、ひどい相手男性を選ぶか、そうした男性から選ばれます。散々な目にあっても、学習せず、今度こそはと選んだ男性も同様なのです。
「クリスチャンなら、神様に導かれているのだから、そうした恋愛傾向にならないはず」というのは、全くの迷信です。不幸な親子関係の精算ができていない恋愛者の心には、神様の介入も、み言葉の光も届かないような闇や壁ができているのだと私は思います。親の罪は、子どもをそのように犠牲にするのです。神様やみことばが無力なのではありません。親の罪がそこまで、強く、残酷なのです。
「本格的恋愛前の親子関係の清算」、そのことを、何度かにわたって記してみます。