信仰継承、宗教二世問題
信仰継承、宗教二世問題
- 「子どもを愛し忍耐し育てる教会へと導いた牧師の言葉」
- 「子どもの身にもなってみよう~騒ぐ子どもを注意する前に」
- 「妄想福音書と妄想パウロ書簡 ~子どもを叱らず、祝福の邪魔をせず、イエスを憤らせず、子どもに倣う」
- 「子は、礼拝する親の背中を見て育つ」
- 「信仰継承、何ではなくて、何なのか?」
- 「信仰継承の再検討①~親からの相続か?本人の出会いか?」
- 「信仰継承の再検討② ~自らを経由せず、邪魔せず、モデルに」
- 「信仰継承の再検討③~焦り、怖れ、義務感?動機の自問」
- 「信仰継承の再検討④ ~親のお手柄?子どものお手柄?」
- 「無関心なのに、囲い込み?~凧上げと伝書鳩のたとえ」
- 「『無関心なのに囲い込みはする』からの悔い改め」
- 「発明としての新語『宗教2世』①」
- 「発明としての新語『宗教2世』②」
- 「発明としての新語『宗教2世』③」
- 「発明としての新語『宗教2世』④」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』①~過去に目を閉ざさず」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』②~人権尊重と信仰継承」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』③~ありがちな二極化」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』④~愛と自由と責任」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』⑤~正解の押し付けでなく」」
「発明としての新語『宗教2世』②」
〈信田さよ子さんの見解〉
「宗教2世」という言葉が、ある意味、発明され、普及したことは、当事者、関係者、さらには日本社会に大きな影響を与えていると思うし、今後さらにそうなると予想しています。
横道誠編「みんなの宗教2世問題」(晶文社)の第三章「識者たちによる宗教2世論」には、カウンセラーの信田さよ子さんが優れた論考が。その中で触れているのが、新しい言葉の誕生とそれが持つ力です。「DV」「共依存」「AC」などは、カウンセラーとして誕生を見てきた言葉だとしています。(P.193)
さらに「言葉こそ力である」という小見出し(P.202)の箇所ではこう記しています。「ある一群の人たちが可視化されるのには、名前が必要だ。名前がないとき、それは存在しない(中略)ある言葉は、その登場を待ち構えていた人たちによって歓迎され、広がっていく。初めて自分のことを表す言葉、自分を名付ける言葉が見つかった。そう思ったことだろう」
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〈私が経験したACという言葉の力〉
信田さんは「DV」「共依存」「AC」に近年の「ハラスメント」を加え、「宗教2世」も、それに相当するとしています。私自身が、初めて、こうした言葉の誕生、普及が当事者に大きなちからとなっていくのをリアルに目撃したのは、ACでした。
1980年代末に日本に輸入されたようですが、身近なクリスチャンがこのテーマを扱った書物に触れて、自分の生きづらさの原因が判明し、ACが自分のアイデンティティーになったのです。もっと言えば「ACのクリスチャン」というアイデンティティーを獲得したのです。生きづらさの正体の判明と自らを名付ける言葉の獲得によって、この方は、生きづらさを大きく軽減させ、クリスチャンとしての歩みを加速されていきました。
この方以外にも、1990年代には、私の周囲にはACと思われるクリスチャンが何名もいました。自覚し、認める人と、自覚できず、ACの方から愛を込めて、指摘されても認めようとしない人がいました。後者の方は、課題が克服や軽減に向かわない傾向にあったように記憶します。
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〈DVやハラスメントも〉
「DV」の普及によって、教会の中でも、被害者は声を上げるようになりましたし、牧会者の対処も従来の「忍耐して、愛し祈れば、相手は変わる」から、大きく転じつつあるように感じています。
「共依存」は、家族関係や牧師と信徒の関係を考える際の基準となり、健全化に貢献しているようです。「パワハラ」や「セクハラ」も、教会内での加害リスクを減らし、苦しんできた人たちをさらなる苦しみから救う方向で働いているのではないでしょうか。
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〈さらに毒親も〉
私はここに「毒親」も加えるべきだと考えています。クリスチャンの親にも、毒親はそれほど珍しくないのが現実です。信仰がその毒成分を強める場合さえあります。「毒親」あるいは「毒親クリスチャン」という言葉は、クリスチャンホームの子どもたちに、「親を愛せない自分」「親を赦せない自分」が悪いのではなく、「親が悪い」「親の罪による被害」という現実に気づかせます。
その気づきは、自らを守り、親から離れ、健全になろうとする方向へと子どもを向かわせるでしょう。これまでなら、教会から離れ、信仰を捨てるという解決をせざるをえなかった子どもたちに別の選択肢を与えるわけです。もちろん、教会は、神の家族として、問題を認識し、子どもを守るべきですし、親への牧会や矯正の努力を試みるべきでしょう。
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〈明日に続く〉
まさに「宗教二世」は、これらの言葉と同様の働きをするわけです。ここからが本論なのですが、本論を活かすためとは言え、前置きが長すぎました。本論は次の回で記します。