信仰継承、宗教二世問題
信仰継承、宗教二世問題
- 「子どもを愛し忍耐し育てる教会へと導いた牧師の言葉」
- 「子どもの身にもなってみよう~騒ぐ子どもを注意する前に」
- 「妄想福音書と妄想パウロ書簡 ~子どもを叱らず、祝福の邪魔をせず、イエスを憤らせず、子どもに倣う」
- 「子は、礼拝する親の背中を見て育つ」
- 「信仰継承、何ではなくて、何なのか?」
- 「信仰継承の再検討①~親からの相続か?本人の出会いか?」
- 「信仰継承の再検討② ~自らを経由せず、邪魔せず、モデルに」
- 「信仰継承の再検討③~焦り、怖れ、義務感?動機の自問」
- 「信仰継承の再検討④ ~親のお手柄?子どものお手柄?」
- 「無関心なのに、囲い込み?~凧上げと伝書鳩のたとえ」
- 「『無関心なのに囲い込みはする』からの悔い改め」
- 「発明としての新語『宗教2世』①」
- 「発明としての新語『宗教2世』②」
- 「発明としての新語『宗教2世』③」
- 「発明としての新語『宗教2世』④」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』①~過去に目を閉ざさず」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』②~人権尊重と信仰継承」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』③~ありがちな二極化」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』④~愛と自由と責任」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』⑤~正解の押し付けでなく」」
「子どもの身にもなってみよう~騒ぐ子どもを注意する前に」
〈イメージしてみて〉
イメージしてみてください。
あなたが主日礼拝に行くたびに
毎週、必ず、こう言われ続けます
しかも、一人ではなく、何人もの方々から
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「礼拝中に居眠りしないでね」
「説教中に週報読んだりしないように」
「礼拝には遅刻をしないでください」
「礼拝姿勢で求道者や子どもたちを躓かせないでほしい」
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もし、毎週、何人もの方からこう言われ続けたら
あなたは、その教会の礼拝に集い続けるでしょうか?
でも、こうした思いをしている礼拝者がいることも
覚えて欲しい。それは「小さな礼拝者」
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〈ある男の子の言葉〉
先日、ある牧師とのお交わりの中
教会に集う一人の男の子の言葉を知った
「教会の大人たちは、僕の顔を見ると
『静かにしてね』しか言わないんだよ」
この子にかけられる大人たちからの言葉は、
「よく来たね」「一緒に礼拝できてうれしいよ」
などの歓迎や励ましの言葉ではない
快適な礼拝を確保するための注意と指導ばかり
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礼拝中に騒ぐ子どもを注意してもいいだろう
でも、その前に考えて欲しいことがある
それは大人である自分の礼拝姿勢
自分のことを棚に上げて子どもに言うか?
そして、自分の以外の大人たちの礼拝姿勢
大人ができていないことを子どもに要求するか?
居眠りしても、週報読んでも、遅刻しても
誰からも注意されず、改まらない一部の大人たち
その礼拝姿勢によって求道者や子どもたちを躓かせても
自覚も悔い改めもない一部の大人たち
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〈考えてほしいこと〉
その子は、こう思うかもしれない
「大人たちはいいよな~」
「居眠りしても、週報読んでも、遅刻しても
誰からも注意されないんだから!」
「僕なんか、毎週、多くの大人から注意ばかり」
「大人の人にもちゃんと注意してよ」
そこで、考えて欲しいことがあります
この子は、早く大人の礼拝者になりたいと願うでしょうか?
それとも、大人になる前に教会からいなくなるでしょうか?
私が尊敬する礼拝学の先生は、
子どもの礼拝参加についてこんな皮肉を言った
「静かなことしか、とりえのない礼拝なんて・・・」
静かになった頃には子どもが皆無なのは、さらなる皮肉
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〈意識改革はできる!〉
実はこの男の子の話は10年前のこと
その牧師は就任後に意識改革に努めたそうだ
今では、教会の年配者はこう言っているのだとか
「教会で子どもの声がするっていいわね」
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「教会の大人たちは、僕の顔を見ると
『静かにしてね』しか言わないんだ」
こう言われる子どもの身にもなってみよう
子どもを注意する前に自らを省みよう
子どもを注意するなら、先に大人を注意しよう
大人の子どもへの接し方が教会の将来を決めるのだから