信仰継承、宗教二世問題

信仰継承、宗教二世問題

「信仰継承の再検討④ ~親のお手柄?子どものお手柄?」

 とりあえず、このシリーズもこれで最後。昨日紹介した母親からのご連絡に、もう一つぜひとも紹介したい内容があったので、それも、以下に転載します。
「私達一世の親世代の頃は教会学校にも子供が沢山いましたから、意識しなくても、子供達は同世代の中で育まれ信仰を持ちました。それを親世代は自分の手柄と勘違いしていたのではないでしょうか?」
 この母親は、親が子どもをイエス様にお連れした時に、子どもが出会うのはイエス様だけではないと指摘してくださいました。同じように、連れて来られた子どもたちとも出会うのです。これは、子どもがイエス様につながっていくのにどんな大きなサポートとなることでしょう。
 信仰継承の結実には、親の愛と祈りと労に神様が報いてくださった面はあれば、教会学校の先生方や、牧師のおかげという面もがあるでしょう。しかし、忘れてはいけないのは、共に歩んで来た同年代の仲間たち!そうです。「子どもたちのお手柄」を忘れてはならないのです。それを忘れて「親のお手柄」と思ってはならないでしょう。
 今の親が子どもの頃は、都市部などでは、まだ、教会には子どもが、教会学校には未信者の子どもがある程度いたのではないでしょう。ところが、ここ数十年年で事態は一変しています。一昔前に、信仰継承で実を結んだと自負する親たちは、自分たちが「強い追い風」を受けていたとの自覚と子どもたちへの感謝をと願います。
 中高生時代に、親や教会との関係に葛藤しつつも、信仰を持ち教会を離れずにいた青年たちから聞こえてくるのは「仲間の大切さ」「交わりの必要性」。特に思春期は同じ教会に同年代がいるかどうかが、かなり決定的な要素に。親の信仰や親との関係より、そちらの比重が高い場合も少なくないように感じています。
 改めて、思います。教会に子どもや中高生が少ない今こそ、団体や地域で同年代が集まる交わりの必要性は高まっていると。それが、かなり決定的な要素になっているのだろうと。
 信仰継承が、親が子どもをイエス様のもとにお連れすることだとしたら、子どもがそこで出会う同じように親に連れて来られた子どもたちのことを忘れないでほしいと願います。
 親自身、教会学校教師、牧師夫妻など、「大人だけのお手柄」ではないことを覚えたいものです。そして、自分の子どもだけでなく、その仲間たちを愛し、祈り、労してゆけたらと最高でしょう。