信仰継承、宗教二世問題
信仰継承、宗教二世問題
- 「子どもを愛し忍耐し育てる教会へと導いた牧師の言葉」
- 「子どもの身にもなってみよう~騒ぐ子どもを注意する前に」
- 「妄想福音書と妄想パウロ書簡 ~子どもを叱らず、祝福の邪魔をせず、イエスを憤らせず、子どもに倣う」
- 「子は、礼拝する親の背中を見て育つ」
- 「信仰継承、何ではなくて、何なのか?」
- 「信仰継承の再検討①~親からの相続か?本人の出会いか?」
- 「信仰継承の再検討② ~自らを経由せず、邪魔せず、モデルに」
- 「信仰継承の再検討③~焦り、怖れ、義務感?動機の自問」
- 「信仰継承の再検討④ ~親のお手柄?子どものお手柄?」
- 「無関心なのに、囲い込み?~凧上げと伝書鳩のたとえ」
- 「『無関心なのに囲い込みはする』からの悔い改め」
- 「発明としての新語『宗教2世』①」
- 「発明としての新語『宗教2世』②」
- 「発明としての新語『宗教2世』③」
- 「発明としての新語『宗教2世』④」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』①~過去に目を閉ざさず」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』②~人権尊重と信仰継承」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』③~ありがちな二極化」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』④~愛と自由と責任」
- 「信仰継承に活かす『宗教2世問題』⑤~正解の押し付けでなく」」
「信仰継承、何ではなくて、何なのか?」
「信仰継承とは何ではなく、何であるか?」を考えてみました。以下は、創世記2:24「父と母を離れ」に立っての私なりの考察です。参考になれば感謝なことです。
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「信仰継承」とは・・・・
教会に委託して、してもらうことではなく、
親、自らが家庭内でしていくこと
教会で、教理と教会生活を教育してもらうことでなく、
家庭内で、自らが、福音に生きる歩みを証しすること
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親が子どもを自分に結び付けて、クリスチャンにすることではなく、
子どもを親である自分から離れさせ、神様に結び付けること
いかにして教会に行かせるかではなく、
いかにして健やかに親を離れさせるかの問題
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親の敷いたレールの上を歩ませるのではなく、
親から神様のレールへの路線変更を助けること
子どもに親と同じことを同じようにさせることではなく、
子どもなりのあり方で、同じ本質を、異なる形、方法でさせること
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親の意向に従う子どもに育てることではなく、
神様のみこころに従う子どもに育てること
子どもについての目に見える自分の安心を求めるのはなく、
結果は神様に委ねて、御心が子どもになるよう願うこと
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凧あげのように、子どもを糸でコントロールすることはなく、
伝書鳩のように、子どもと神様を信頼して手放すこと
凧あげの糸が切れれば、凧は二度と帰ってこないもの
伝書鳩は、姿が見えなくなっても、帰ってくるもの
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もし、「信仰継承でないこと」が、「信仰継承」とされているなら、この投稿が、お役に立つのかもしれません。