信仰継承、宗教二世問題

信仰継承、宗教二世問題

「信仰継承、何ではなくて、何なのか?」

 「信仰継承とは何ではなく、何であるか?」を考えてみました。以下は、創世記2:24「父と母を離れ」に立っての私なりの考察です。参考になれば感謝なことです。
「信仰継承」とは・・・・
教会に委託して、してもらうことではなく、
親、自らが家庭内でしていくこと
教会で、教理と教会生活を教育してもらうことでなく、
家庭内で、自らが、福音に生きる歩みを証しすること
親が子どもを自分に結び付けて、クリスチャンにすることではなく、
子どもを親である自分から離れさせ、神様に結び付けること
いかにして教会に行かせるかではなく、
いかにして健やかに親を離れさせるかの問題
親の敷いたレールの上を歩ませるのではなく、
親から神様のレールへの路線変更を助けること
子どもに親と同じことを同じようにさせることではなく、
子どもなりのあり方で、同じ本質を、異なる形、方法でさせること
親の意向に従う子どもに育てることではなく、
神様のみこころに従う子どもに育てること
子どもについての目に見える自分の安心を求めるのはなく、
結果は神様に委ねて、御心が子どもになるよう願うこと
凧あげのように、子どもを糸でコントロールすることはなく、
伝書鳩のように、子どもと神様を信頼して手放すこと
凧あげの糸が切れれば、凧は二度と帰ってこないもの
伝書鳩は、姿が見えなくなっても、帰ってくるもの
もし、「信仰継承でないこと」が、「信仰継承」とされているなら、この投稿が、お役に立つのかもしれません。