礼拝、礼拝司会

礼拝、礼拝司会

「その『続いて』ってどうよ?④~そもそも礼拝司会の役割は?」

 そもそも、礼拝における司会者の役割は何でしょう?
「滞りなく式次第の通りに礼拝プログラムを進めること」でしょうか?それとも、「会衆の心を神様へと向かわせ、真実な礼拝がささげられるサポートすること」でしょうか?」
言い換えれば「失敗なくうまくやること」でしょうか?それとも「真実な礼拝を願って仕えること」でしょうか?
 昨日の投稿の流れで言えば「礼拝というシステムを機能させること」でしょうか?あるいは「礼拝という人格的交わりを深めること」でしょうか?
 実際に礼拝の司会をしている皆さんは、意外と前者になっていないでしょうか。礼拝司会者が役割を果たすことで精いっぱいで、皮肉にも「礼拝司会者自身が、神様に心を向けて礼拝をささげていない」ということはないでしょうか?司会者がそうであれば、礼拝者たちも、その司会者の意識や姿勢に、引きずられ、傾いてしまうでしょう。
 「礼拝に喜びがない」、「形骸化しているのでは?」、「義務的になっている」、「聖霊の働きが感じられない」。時に、礼拝についてそんな否定的な評価を聞きます。もちろん、礼拝者自身の意識、主体性の有無が問われます。礼拝プログラムの改善点もあるでしょう。説教者の力量も要因の一つかもしれません。
 しかし、指摘されることが少ないのですが、「司会者の意識と姿勢」も、礼拝という現場においては大きな要因だと思うのです。「失敗なくうまくやろう」との意識が優先し、会衆の心を神様に向ける役目を果たさないなら、礼拝者の側も「司会者の指示通りの行為をしてプログラムをこなして義務を果たす」という意識になりやすいのでは?
 司会者自身が礼拝をどう考えているか?その礼拝観が司会の言葉に反映するのでしょう。「行事」か、それとも「交わり」か?「形式的行為」か、それとも「人格的交流」か?「果たすべき義務」か、それとも「喜んで主体的にささげるもの」か?前者であれば、人為的で機能的な言葉が増えて、後者であれば、それは減っていくと思うのです。
 礼拝司会奉仕者の役割、目指すべき目標は何でしょう?改めて考えたいものです。礼拝司会の奉仕者として、また、司会の導きで礼拝をささげる一礼拝者として、今回の拙い考察を受け止め、考えていただければ、感謝です。
 
 
 
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