礼拝、礼拝司会

礼拝、礼拝司会

「その『続いて』ってどうよ?①~中高生キャンプの現場から」

 3月の中高生キャンプでのこと。最初の集会の前に、代表(青年信徒)が司会者(新高三男子)に対して、「『続いて』は言わないように」とアドバイス。理由は「いかにもプログラムをこなす感じになるから」だったと記憶します。
 効果的かつ教育的なアドバイスだと感心し、よせばいいのに、私も司会者に言ってしまいました。「『続いては』は、みんなの気持ちが神様に向かっていく邪魔をするからNGでね」とプレッシャーをかけてしまいました。
 司会者は賢く適応力も高く、見事に、アドバイスを活かしてくれました。「続いて」「それでは」「えー」などはなく、流れのある集会に。賛美リーダー(大学新二年女子)もよく教育をされており、無駄な言葉はなく最低限必要な言葉と的確な選曲で見事に、キャンパーの心を神様に向けていました。
 「司会→賛美→聖書朗読→メッセ―ジ」とよどみない流れで進み、キャンパーたちの心は、どんどん神様に向い、聖書朗読の前には、中高生がふさわしく整えられていました。説教者である私も、中高生たちが、聖書からの語り掛けを、心を開き受け止めていることが実感できました。
 最初の司会者が最高のモデルを示してくれたからでしょう。2回目から最後の4回目までの司会者も同様で、見事に流れと深まりを作ってくれました。キャンプ後には「現役高校生と大学生でこのクオリティーの奉仕ができるのか!」と感動、そして絶賛。
一方で、感動しながら、思ったのは大人のこと。
「大人の礼拝司会、『続きまして』とか多くない?」
今回は中高生キャンプの現場からのレポート
次回からは、タイトル通りの考察に移ります。